2006年7月31日月曜日

ハピーバースデー

今日は、親しく付き合っていただいている若い人達が、私の少し遅目の誕生日を祝ってくれました。長い付き合いの人も最近知り合った人も集まってくれてとても楽しいひと時でした。お心遣いに心から感謝致します。皆さんのような素晴らしい人達と知り合えて本当にありがたく嬉しく思っています。これからも世代を超えた付き合いの中でいろいろと刺激してください。よろしくお願いします。今日は本当にありがとう!!

2006年7月30日日曜日

ブログの再構築

この週末はブログの再構築を行った。テンプレートを変えてデザインを一新した。また、以前にここでも触れた問題がずっと気になっていたが、原因を発見して修正した。過去の投稿(Previous posts)で表示されないものがあったのは文字エンコーディングの問題だった。前にも触れた通り、このブログはGoogleのBloggerを使っているが、もともと英語圏の人用に作られたツールのために、日本語環境で使おうと思うといろいろと微修正が必要だ。テンプレートも揃ってはいるが、英語圏で作成されたものばかりで、テイストが合わなかったり、そのままでは自分の思うようなレイアウトにならずどうしてもHTMLを直接触って細かいところを調整したくなる。

今回、一連の作業を進める上で、「クリボウのBlogger入門」「トホホのWWW入門」が非常に役に立ったのでここにもリンクさせていただく。これだけ懇切丁寧な情報が無料で提供されているのであるから、今回の作業程度であれば本や有料の情報商材はまったく必要ない。なお、無料ブログツールはBlogger以外にもたくさんあるので、「無料ブログ(blog)比較情報」や、「【無料ブログ比較なら】まあ待て、ブログを借りる前にここを読め」のような比較サイトの情報も役に立つ。

それにしてもこの手の作業はやり始めると本当にきりがない(トホホ)。。。

2006年7月27日木曜日

うんと苦労するということ:補足

7月21日の「うんと苦労するということ」を読んでメールで直接次のような感想を送って下さった方がいる。

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先日の貴兄のブログで私の座右の銘のひとつと同じような文章があったので、嬉しくなりました。
  
   真剣だと 知恵が出る。
   中途半端だと 愚痴が出る。
   いい加減だと 言い訳ばかり。
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あらためて、愚痴や言い訳のない日々を目指したい。ありがとうございました。

2006年7月25日火曜日

日経新聞広告から

先週末の日経新聞の全面広告ページに、ワイキューブ代表の安田佳生氏と伊藤塾塾長の伊藤真氏の対談が載っていた。サンマーク出版の広告であったが、御両名の対談の中身は興味深かった。出版社の宣伝によると、安田氏の近著、「千円札は拾うな」は25万部、伊藤氏の「夢をかなえる勉強法」は16万部のベストセラーになっているそうだ。安田氏はリクルート勤務を経て人材コンサルティング会社を起業した人物のようだが、彼の発言の中で印象的だったのは以下。

「(前略)やはり、こだわり過ぎはよくない。捨てたくないものを捨てることに価値があると気づくまで、時間がかかり過ぎました。いまの自分は何をしたらいいのか、いまの自分の価値観だけで判断していたら絶対に成長できません。」

「結局、自分を一番縛っているのは、過去の成功体験なんですね。そのために不自由になっている人はたくさんいます。(中略)なまじ成功した体験があると、自分のスタイルというものを作ってしまっている人もいます。自分の個性ややり方をかたくなに守り、一手先の自由を得ることだけに固執していると、五手先を考えたらものすごく不自由になりかねないですよね。」

「人生にはフルモデルチェンジが何回か必要ですよね。マイナーチェンジの方が楽ですが、必ず限界が来る。部長に昇進したらもう一度ゼロからやり直さなければいけないのに、課長時代のまま、「70点の部長」からスタートだと考えてしまう人がとても多いんです。」

「飛び抜けて仕事ができる人は、おっしゃる通り想像力というか、結果から逆算する演えき的な思考能力が特に優れています。そうした人に比べて、同じ論理的思考能力の持ち主でも論理を積み重ねるだけの人は、長い間に年収にものすごく差がついてしまうような気がします。」

「そもそも新しいやり方というのは、常に常識外のところから出てきます。飛行機だって、論理の積み重ねだけでは生まれなかったはずです。人間は飛べないという結論を出して終わってしまうのではなく、いや飛びたい、飛べるはずだと考えたからこそ成功したんだと思います。」(注:この話はたしかナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」の中の逸話にもあったと思います)

「人生をより良く生きるということから考えたら、無駄なことなんてほとんどないんじゃないですか。無駄なことが嫌いだという人は、一手先ばかりを考えているからだと思います。」

一方の伊藤氏は司法試験合格指南のカリスマ塾長と呼ばれている人物とのことだが、彼の発言で心に残ったのは以下。

「そういえば私、新しい塾を開くときに弁護士資格も捨てました。周りからは、何てもったいないことをするんだとあきれられましたが。(笑い)」

「多くの司法試験受験生の勉強法を見ていると、未知の問題への対策が不十分なんです。試験には必ず未知の問題が出ます。それに対処するためには、膨大な量の既知の問題を分析し、そこから自分で未知の問題を考えてパターン化、解答のマニュアルを作っておく必要があります。」

「高い目標を持つことが大切だということは、司法試験の受験生にも言えます。合格する人に共通するのは、常に先を見据えていることです。弁護士、検察官、あるいは裁判官になったらこういう仕事をしたいという志を持ち続けている人なんです。」

「司法試験は努力したからといって、それが必ずしも報われるものではありません。(中略)でも、そこを断ち切るというか、捨てて次の世界に向かって行くところに大きな飛躍がある。その意味で、合格と不合格は実際には等価値なんです。長い人生を見たときには、幸せへの道は何本もあるのですから。」

さっそく、お二方の著作を購入した。

    

2006年7月24日月曜日

全英オープン(ゴルフ)

ゴルフのメジャー大会のひとつ、今年の全英オープンで先ほどタイガー・ウッズが優勝した。父親の死で精神的に落ち込み、直前の全米オープンでは予選落ちだったが、短期間で強いタイガーが復活した。優勝した瞬間、キャディや奥さんに抱きついて号泣していた。こんなタイガーを見たのは初めてだ。

彼は父親との絆が人一倍強かったと言われている。タイガーのずば抜けた才能を逸早く見抜いたのも父親だったそうだ。生前は何かと頼りにする精神的支柱になっていたようだ。

さまざまな困難を克服してメジャー優勝をみごと再び勝ち取り復活したタイガーのずば抜けた精神力と技量、彼の父親への愛の深さに感動すると同時に、自分の年老いた父親への思い、また自分自身、若い息子を持つ父親としての思い等がいろいろと重なり合ってきて、誰もいない深夜のテレビの前で思わず目頭が熱くなった。

それにしても、一流のプロフェッショナルというのは、常に素晴らしい物語を作り上げてくれるものだ。

2006年7月21日金曜日

うんと苦労するということ

「少しの苦労では愚痴が出る、うんと苦労すると知恵が出る」という言葉を教えてくれた人がいる。いい言葉だ。気に入った。愚痴が出ている間はまだまだ苦労が足りないってことだ。知恵が出るまで苦労しよう。

一方、私は苦労やストレスには良性のものと悪性のものがあると思っている。良性の苦労やストレスは人を育て、鍛え、創造力をはぐくむ。他方、悪性の苦労やストレスは人を病気にしたり、暴走させたり、苦しめるだけだ。自分が今感じている苦労やストレスが良性のものか悪性のものかについては常に敏感でいた方がいい。万が一、それが悪性のものであると確信するのであれば、一刻も早くその状態から脱出した方がいい。あなたが並みの人なら、耐えても耐えるだけ生命力が削がれ、やがて脱出する気力すらも奪われてしまう。

しかしながら、きっと本当に強い人とは、悪性の苦労やストレスをも良性のそれに変えてしまえる人の事を言うのであろう。「艱難、汝を玉にす」という言葉もある。戦後、電力事業に貢献した松永安左衛門は、本物の人物になるための3つの条件として次のものを挙げた。

1.生きるか死ぬかの大病をする
2.何かの誤解で刑務所生活をする
3.職を離れ、浪人の身となり辛酸をなめる

このどれかを、出来ればすべてを体験しなければならないと言っている。通常は人間は出来れば苦労を避けたいと思う。「苦労は買ってでもしろ」等と頭ではわかっていても、言うは易し行なうは難しである。だから、この松永という人物はこういうことを言うだけでも並の人ではなかったのだろう。

私自身は今現在、幸か不幸か(?)まだ1と2の経験はないが、3の状況であることは確かだ。でも、辛酸をなめるほどのレベルか、と言えば、到底そんなレベルにはない。不安になったり焦ったりと気持ちが弱くなった時には、そう考えて気持ちを強く持つようにしようと思う。今の苦労なんて苦労のうちには入らないのだ。

2006年7月16日日曜日

ジダンの頭突き

ジダンの頭突きの話題がいまだ盛り上がっている。いったい、彼とマテラッツィの間にいかなるやり取りや確執があったのか真相はわからないが、ジダンがTVインタビューで言った通りの侮辱があったのならば、頭突き大いに結構だ。それがジダンの限界でもあり、スタイルでもあるのだから。

ようやく苦労の末に勝ち進んだワールドカップの決勝戦という晴れ舞台、しかもこれが自分の現役最後の試合、ここで活躍してフランスを勝利に導けば自国のみならず、世界中の英雄だ。その名声は揺るぎないものとして後世に長く語り継がれること間違いなしだ。実際にあんなことでジダンが退場にならなければフランスが優勝したかもしれなかった。だから、よっぽどの馬鹿か見境いのない人間でもない限り、晩節を自ら汚すような行為は慎み、フランスチームの勝利に向けてわずかな残り時間集中しようとするのが常識だろう。何を言われたとしても黙殺して次のプレーに進むのが大人として、プロとしてのあるべき姿だ。

しかし、ジダンは自分と自分の家族が受けた辱めに対して、一瞬の躊躇もなく、勝利も名声もかなぐり捨てて、愚挙に出た。そこにジダンの男としての生き様を垣間見た気がする。彼は馬鹿でも見境いのない人間でもないから、愚挙の直後にはただちに冷静さを取り戻し、自分のやった行為を自ら断罪し、一切悪あがきすることもなく潔く退場して行った。フランスのTV局のインタビューでは子供達を失望させたことに関しては謝っていたが、自分の行為を否定はしなかった。

人生において忍耐が大切であることは当然だが、耐えてはいけない時もある。耐えるべき時に耐えられず、耐えてはいけない時に耐えている人が多い中で、あの瞬間は少なくともジダンにとっては耐えてはいけない瞬間だったのだ。彼の生い立ちを詳しくは知らないが、アルジェリア移民として、自分と家族の尊厳や誇りを守る、ということに対する感度は人一倍強く、それはフランスの名誉よりも重いものであったのかもしれない。だから、賢者の判断ではあそこは耐えるべき瞬間だったのにも関わらず、逆の行為、すなわち、すべてを瞬時にして捨て去る一見無謀な行為に及んだのだ。そこには一切の打算も計算もない。純粋な気持ちの高まりがあっただけだ。

何人(なんぴと)にも守る対象があるはずだ。それが傷つけられたときに牙を剥くのは人間の本性だ。理性ではない。この一件で、2つの映画を思い出した。ひとつはラッセル・クロウが主演した「グラディエータ」、もうひとつはメル・ギブソンが主演した「パトリオット」だ。「グラディエータ」では、愛する妻子を惨殺されたローマの英雄が剣闘士として生き延びながら復讐の鬼となった。「パトリオット」では、次男を目の前で射殺された父親が、生来の獣性を取り戻して復讐の鬼となった。どちらもむごい映画だったが、絶対に許したり耐えてはいけない相手と行為に対して、ただひたすら「その時」を狙って耐え続ける内容で心に残った。

状況が状況でもあり、あまりにも直情的に見えたジダンの行為に対しては擁護派と攻撃派に分かれるだろうけれど、あの何のためらいのない一瞬の頭突きに、一種の人の生き方の潔さを感じて痛快な思いがした。私はあの頭突きでジダンの本当のファンになり、今後の彼の生き方に興味を感じるようになった。

    

2006年7月9日日曜日

内観ということ

ここ数ヶ月、「内観」ということを意識している。「内観」を深めて行くほどに、自分の人間としての至らなさや未熟さを思い知らされる。毎朝、家人や近隣が起き出す前に起床して外に出る。朝の新鮮な空気を吸いながらしばし瞑想する。鳥のさえずりや虫の羽ばたき、遠くで動く木々のざわめき、一日の活動を開始しようとしている街の気配、いろいろなことを感性で読み取ることに集中する。これに、江原啓之さんの本にあった3つのことを念じることも最近加えている。「今日一日を良い日にしよう」「今日出会う人達に親切にしよう」「たった一歩でもいいから今日の自分を昨日の自分よりも進歩させよう」

怒り、悲しみ、焦り、不安、羨望、嫉妬、、、ネガティブな想念をすべて吐き出して、感謝、希望、喜び、満足、安心、自信などのポジティブな想念に置き換えようとするが、日常活動の中では、なかなか思うようには行かない。毎週末、スポーツクラブでの仕上げとしているサウナの後の冷水風呂につかりながら、目を瞑って一週間を振り返ると、まるで駆け出しの修行僧のような心持ちになる。その週の自分の未熟な言動をいくつも思い出しては、まだまだだ、と反省する。

最近、スピリチュアルブームと言われるが、私はこれはとてもいいことだと思う。単なる興味本位では心もとないが、私達の日常が、なんらかの「神秘の力」に左右されている、と感じ、それをはっきりと認識することにより、身の回りの出来事や出会いの必然を意識してポジティブな生き方が出来るようになるからだ。その為には、「神秘の力」の存在を自然に感じ取れる感性を磨くためのさらなる内観が欠かせない、と感じている。

    

2006年7月7日金曜日

国民の危機意識と国家の危機管理能力

隣に物騒な国が居るのは困り物だが、そういう国が悪さをしても腰が引けたままの国も情けない。自国民が拉致というテロに遭い続けても長年見て見ない振りをして来たのがこの国の実態だから、ミサイル攻撃を受けてもなすすべはない、というのが本音のところだろう。今朝の、みのもんたの番組に額賀防衛庁長官が出演していたが、みのさんの「もし、ミサイルが国内に落ちたらどうするのですか?」という質問に国家防衛の最高責任者がまともに答えることすら出来ない光景は実に寒々しかった。

学生時代に訪れたアメリカの大学の学生寮に、「災害時の避難について」という注意書きが壁に貼ってあったのを思い出すが、災害の種類のリストの中に、"Hurricane" や "Tornado" 等と並んで "Enemy Attack" とはっきり書いてあった。敵国からの攻撃を日常生活の中で常に想定しているのを目の当たりにして危機意識に関する彼我の違いを感じたものだ。

もっとも、国家としてのスタンスの違いや、軍事力、情報収集能力の違いはあっても、現アメリカ連邦政府もNew Orleansを襲ったHurricaneには無力だったし、9.11のEnemy Attackに対してもなすすべはなかった。だから一概にアメリカの方が国民の危機意識も国家の危機管理能力も優れている、と言えるわけでもなかろうが、国家の一大危機が想定される状況下にあって、エルビスの真似してはしゃいだ間抜け面をメディアに晒していたような人が宰相であるのが我が国の実態である。我々国民の一人一人は、心して自分の身は自分で守る、という最低限の認識だけは強く持っておいた方がいいだろう。

2006年7月5日水曜日

格闘技

先週の金曜日、息子を連れて新横浜の横浜アリーナで開かれた「K-1ワールドマックス2006」を見に行った。会社で働いていた時にはなかなか行きたくても行けなかったところに出掛けたり、やりたくても出来なかったようなことを一つずつやっている(笑)。

期待していた魔裟斗があっさり準決勝で負けてしまったのにはがっかりしたが、格闘技の生の迫力はさすがだった。優勝はタイのムエタイ出身のブアカーオがオランダのアンディ・サワーに3ダウンを奪って勝ち取った。野蛮な言い方で恐縮だが、男が男を殴り倒す現場はやはり凄い。

驚いたのは若い女性が大勢来ていた事。メディアのはなやかな演出や仕掛けが功を奏して、K-1をはじめとする格闘技は今や女性を大量動員するメジャーイベントになっている。

でも、女性の格闘技ファンの方々にははなはだ恐縮だが、この世界は男の聖域として本来絶対に譲れない。男とは、生来、闘ってなんぼの生き物だと思う。それは肉弾戦の世界でもビジネスの世界でもまったく同じ。闘わない男や闘争心の弱い男は既に男を捨てている。勝っても負けても、フェアプレーで最後まで死力を尽くして闘ってこそ、真の戦士として認められるのだ。

男同士の肉弾戦を観戦するということの魅力は、理屈抜きで我々男性の存在意義について自信を与えてくれる、というところにあるのかもしれない。

以上、暴言、暴論お許しを。