2006年7月9日日曜日

内観ということ

ここ数ヶ月、「内観」ということを意識している。「内観」を深めて行くほどに、自分の人間としての至らなさや未熟さを思い知らされる。毎朝、家人や近隣が起き出す前に起床して外に出る。朝の新鮮な空気を吸いながらしばし瞑想する。鳥のさえずりや虫の羽ばたき、遠くで動く木々のざわめき、一日の活動を開始しようとしている街の気配、いろいろなことを感性で読み取ることに集中する。これに、江原啓之さんの本にあった3つのことを念じることも最近加えている。「今日一日を良い日にしよう」「今日出会う人達に親切にしよう」「たった一歩でもいいから今日の自分を昨日の自分よりも進歩させよう」

怒り、悲しみ、焦り、不安、羨望、嫉妬、、、ネガティブな想念をすべて吐き出して、感謝、希望、喜び、満足、安心、自信などのポジティブな想念に置き換えようとするが、日常活動の中では、なかなか思うようには行かない。毎週末、スポーツクラブでの仕上げとしているサウナの後の冷水風呂につかりながら、目を瞑って一週間を振り返ると、まるで駆け出しの修行僧のような心持ちになる。その週の自分の未熟な言動をいくつも思い出しては、まだまだだ、と反省する。

最近、スピリチュアルブームと言われるが、私はこれはとてもいいことだと思う。単なる興味本位では心もとないが、私達の日常が、なんらかの「神秘の力」に左右されている、と感じ、それをはっきりと認識することにより、身の回りの出来事や出会いの必然を意識してポジティブな生き方が出来るようになるからだ。その為には、「神秘の力」の存在を自然に感じ取れる感性を磨くためのさらなる内観が欠かせない、と感じている。

    

4 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

毎朝の瞑想…素晴らしいですね。。朝が苦手な自分には羨ましい限りです。

ところで…提案なのですが、、、
ネガティブな感情や思いも、ポジティブなそれも、まずは、それらを本当に「許す」というのはどうでしょうか?

私は、自分を反省する時、とことん落ち込み「もうダメだ」と、底を打つまで沈んでいきます。「あぁ最低だ」と気持ちのどん底?で「これが私なんだ。でも、こんな私を許してあげよう。」と自分に「許可証」を発行します。そこには「○○で最低な自分を許可します」というくだりがあります…←もちろんイメージですけど(笑)

「最低な自分…これでいいのだ。」と安堵するわけわけではなく、本当に嫌な自分を許可することで、そんな自分をコントロールする「自由」が手に入るような気がします。ポジティブはそこから創作します。

「許す=愛」なんだと思う…自分を許さない人は、他人も許せないと思います。かく言う私は、恥ずかしながら、長らく自分を許せずにきました。
こうでなければならない…と拘り、力むことで、かえって真のポジティブなクリエイションから遠ざかってしまうこともあるのではないかと思います。
他人との関係の方が判りやすいかもしれませんね。相手を否定した上で交渉するより、受け入れた上で交渉した方が、上手くいくことが多いように思います。

ちょっと心配が過ぎましたでしょうか?!(笑)

見えるもの、触れるものしか信じないし感じないという感覚は、誠に貧相だと思っています。最近のスピリチュアルブームが単なる占い代わりなのか、実際に人々の感性に影響を与えているのか判りませんが、いずれにしろ、感性を大切にすることは歓迎です。

匿名 さんのコメント...

自分の内面を見つめることは、本当に重要だと思います。見えない神秘の力・見える大切な人々に生かされていることに気づき、感謝の気持ちが生まれます。そして、幸せを実感するのです。

yさんのコメントもすごく勉強になりました。自分を許すこと、そして相手を受け入れることですね。

匿名 さんのコメント...

pさん、ありがとうございます(^^♪

「愛」って言葉を、私達は「やさしくする」とか「かわいいと思う」とか…そんな調子で使うことが多いと思いますが、実は、一番近いニュアンスは「許し」なんじゃないかと思います。

それから、最低な自分を「許す」ということについてコメントしましたが、これは、「ダメだけの自分」をフォーカスすることではなく「素晴らしいナイスな自分も、そうでない最低で駄目な自分も、全部、自分なんだ」と「許可」するということです。Includingダメ自分でOKということです。

MasterMind0710 さんのコメント...

Yさん、Pさんへ、

凄いですね、コメンテーター同士で盛り上がってますね!!!今後ともよろしくお願いします。