2006年4月30日日曜日

ハローワーク

先週末、地元の職安、正式には公共職業安定所、所謂「ハローワーク」に行って参りました!雇用保険失業給付の申請の為です。朝一で行ったために混雑もなくあっさりと手続きを完了しました。今後、4週おきにここに通って失業認定を更新することによって、私の場合は最大330日間まったくの無職でも給付によるサポートを受けることが出来るのでありがたい制度ではありますが、長年雇用保険を納め続けてきたので、当然の権利でもありますね。それにしても、「失業」「無職」とは、潔いような、切ないような、、、ちょっと前までの会社生活での重責と激務の日々を思い起こせば、いたって平和で暢気な身分でもありますが、、、今回、私としては、本格的な活動再開まで、しばしの間は心身の休養と充電にあてたいため、この制度の恩恵にあずかることにしました。何でも社会勉強、というつもりですが、思っていたよりもそんなに暗いイメージのところではなく、職員の皆さんも親切でてきぱきしていて好感を持てました。

さて、その日は本当にいい天気で、上記の手続きを終えて外に出るととても爽やかないい気持ちだったので、気の向くままにみなとみらい方面を散策しました。ところどころ、携帯電話のカメラで写真を撮ったので並べてみます。横浜には古くて格式のある建物がまだ市中にたくさん残っています。また、最近再開発された「赤レンガ倉庫」地区からみなとみらいのインターコンチネンタルホテルあたりまでの一体は本当に気持ちのいい散策エリアだと思います。テレビドラマ化された「海猿」で有名になった「海保」の基地もあります。ベイブリッジもきれいな橋です。この5月連休には大勢の人出で賑わうことでしょう。






2006年4月28日金曜日

千代田珈琲

ブログを読んだり書いたりする時に傍らに極上の珈琲はいかがでしょう?

私の一押しは 千代田珈琲「行麿ブレンド」

店主の千代田さんとは、もう、10年以上も前に、ニューヨークに出張する飛行機の中で、たまたま隣り合わせになる、という奇遇な出会い。その頃は、千代田さんも大手企業にお勤めで、その会社の大きなプロジェクトの実行責任者であった。

その後、しばしのブランクを経て数年前に再会。既に独立して千代田珈琲を開業しておられた。以来、私に取って、千代田さんの「贅沢珈琲 行麿ブレンド」は人生のなくてはならないパートナー。千代田さんのことも人生の大切な先輩のお一人としてお慕い申し上げている。

千代田さんはとにかく頭の回転が速くてエネルギッシュ。行動力の塊のような人物だ。憂国の士でもある。「高志会」という、「志の高い人物と出会う(!!)」ことを目的としたカジュアルな勉強会も主催されていて、私も常連として参加させていただき、数々の新しい出会いに恵まれた。

「行麿ブレンド」を一度飲み始めると、もう、他の珈琲は飲めなくなる。千代田さんによると、珈琲は本来、健康飲料でもあるそうだ。豊穣な香りと味わいの中で、身も心も、芯から癒してくれる不思議な珈琲である。

2006年4月27日木曜日

役者願望

通っているジムのインストラクターで、顔見知りではあったけど挨拶程度しか言葉を交わしたことのない青年とプールサイドのジャクジでたまたま世間話になった。ジムのインストラクターはアルバイトで、本職は役者を目指してるんだとか。。。いつも爽やかで人懐っこい感じの人だけど、見えないところで目標持って頑張っているんだね。ろくな役にも恵まれずに苦労している話を聞かせてくれたけど、「一度しかない人生、頑張れよ」、って、ひどく無責任なフレーズで励ましたら、「そう、まさにそうなんですよ、頑張ります!」って、やけにうれしそうだったなぁ。何でもいいけど何か夢や目標を持って生きている人ってのは理屈抜きに気持ちがいいもんですね。。。こっちもちょっぴり元気をもらった。

2006年4月26日水曜日

白石一文さんの小説

懇意にしていただいているノンフィクションライターT氏の紹介で、新進気鋭の小説家、白石一文さんと知り合った。初めてお目に掛かってから、かれこれ2年程になるだろうか。一昨年に他界された第97回直木賞受賞の歴史小説家、白石一郎さんのご子息でもある。

まだ、お会いする前、最初に読んだのは「すぐそばの彼方」(角川書店)。それ以来、彼の大ファンとなり、世に出た作品はすべて読ませていただいた。彼の小説の根底にあるテーマは「人はなぜ生まれ生きるのか?」という問い掛け。とても重たい永遠のテーマであるにも関わらず、小説とは最高のエンターテインメントである、ということをしっかりと認識させてくれた優れた作家として惚れ込んでいる。

実質的な処女作とされている「一瞬の光」(角川書店)もデビュー作とは思えない完成度で、ひとたび読み始めたら途中でやめることが出来なかった。最近、「私という運命について」(角川書店)、そして「もしも、私があなただったら」(光文社)が新たに出版された。前者は珍しく女性が主人公の一作。運命の糸に翻弄されているように見えながらも、すべてが必然としてつながっていくさまざまな出来事や出会いと別れを軸に、次第に本来の幸せに導かれて行く女性の波乱に満ちた生き様が描かれた傑作である。その後、最新作の「もしも、私があなただったら」はまだ先日出版されたばかり。会社を辞めて故郷の博多に戻り小さなバーを開いた男を巡る話。会社を辞めたいきさつや、その後の人生に対する男の心理描写等、現在の自分の置かれた状況との対比という意味でも非常に楽しめた一冊であった。

小説家でもミュージシャンでも映画監督でも、自分が感情移入出来る作品を作ってくれる人との出会いは人生をとても豊かにしてくれる。私にとって、白石さんの小説は、前述した通り、優れたエンターテインメントであると同時に、人生の本質や不思議さに深く思いを馳せるきっかけを与え続けてくれている。

新作を読み終えてしまうのがいつも残念であり、読み終えると同時に次の作品が待ち遠しくてたまらなくなる。

2006年4月25日火曜日

辛口でごめんなさい

Web1.0から2.0への変化が誰もはっきりと意識しない間にじわじわとしかし確実に起きつつあるように、世の中の革命的な変化というものは実は派手に起きるというよりも見えないところで潜行しながら発生するものらしい。しかし、革命というものは起こす人がいるから起こるのであって、世の中のごくごく一部の限られた人達が始動し出すと、さらにまたごく一部の人達が敏感にその動きを察知して行動を起こし始め、そこに小さな連鎖が発生し始める。結果的に、革命が起きることのサインはいろいろな形で出始めるのだが、それに本当に大衆が気付き始めるのはかなり後になってから、ということなのだろう。このような遷移に関して、梅田望夫さんがやはり最近のベストセラーとなっている「ウェブ進化論」(ちくま新書)の中で、「タービュランスの発生」→「メディアアテンションのフェーズ」→「バブルの発生と崩壊」→「大規模な構築ステージ」という分類でみごとに整理している。

リーダーの資質としての「品格」ということに関して前に少し論じたが、政治家や会社の経営者などいわゆる世の中のリーダーに求められる別の資質として、「①革命を起こす資質」を持っているのがベストであろう。その次に来るのは、「②革命を察知してそれに最も早く追随出来る資質」、その次が「③革命が顕在化してから迅速にそれに追随出来る能力」と来て、最後に来るのは「④革命が起き、世の中が完全に変わったにも関わらず依然過去の成功体験にこだわり変化を拒む態度」となるだろう。

企業というものの一生もまずは①か②のレベルでの起業があり、その後の繁栄期を経て、最後は③のレベルで結局追随できないまま衰退していくか、最悪は④のレベルでの自然死か突然死、ということになるのが大抵のパターンであると思われる。一旦、繁栄期を経て図体が大きくなった企業が、再び①や②のパターンに戻って再生する、というのはほとんど奇跡に近いことのように思える。つまるところ、リーダーとしての経営トップの資質次第ではあるが、今の日本の所謂大企業にもっとも求められるのは年齢を問わずそのような奇跡を演出できるレベルの非凡な人材であると思われるのに、失礼ながら、依然として登場感や存在感の希薄な年配の顔ぶれが多いように感じられるのは日本ながらの年功序列の名残のせいなのであろうか?

2006年4月24日月曜日

サラリーマンという生き方

サラリーマンという生き方をちょうど22年間続けた。週休2日だったので実働週5日で単純計算すると年間260日、そのうち祝日や休暇を合わせて14日とすると、246日だから22年間で5412日になる。一日8時間労働として、43296時間。途方もない時間だ。しかしながら、この時間のどれだけを本当に創造的、生産的なことに使ってきたのだろうか?社内調整や冗長な会議等で無駄に消費された時間を感覚的だが全体の3割とすると、前向きなことに使った時間が30307時間程という計算となる。会社を辞めてフリーとなった今は持ち時間すべてを自分の思うようにデザイン出来るので、一日12時間を生産的なことに使うとすると、その30307時間は2526日分、平日と土日の区別はないので、この日数はおよそ7年分にあたる。実際には残業や土日の在宅勤務もあるので正確ではないにしても、ひとつの目安として、今後7年あれば、時間的には会社にいた時に成し遂げたことと同等レベルのことはやれる、ということである。

新しいことを始める時に人は必ず年齢のことを気にするし、逆に年齢を気にして行動を起こせない人も多いようだが、これはある意味言い訳あるいは錯覚に過ぎないのではないだろうか?実際のサラリーマン生活というものは上記以上に自分の持ち時間を犠牲にした生活を強いられるものだ。理不尽なストレスも多い。大切なことは年齢よりも、自分の持ち時間をどう上手に使うかということに尽きるであろう。

時間で拘束されない生活を手に入れてまず思うのはそんなことである。。。

2006年4月23日日曜日

「品格」ということについて

藤原正彦氏の「国家の品格」(新潮社)が引き続きベストセラーとなっている。独特の毒舌、極論とも思える主張の中には共感出来る事が多い。藤原氏が若かりしころに著した「若き数学者のアメリカ」をやはり自分も若かった頃に読んだ。こちらも自分の留学体験とも重ね合わせて大いに共感できる内容であったと記憶している。藤原氏のことは、実はそれ以来、すっかり忘れていたのだが、最近、この「国家の品格」を拝読して、持ち前の正義感や反骨精神が氏の内面において継続して進化し、日本人に大きな影響力を与えるに至っていることを非常に心強くまた嬉しく思っている。

今や「品格」という言葉は死語に近いほど、国家も、企業も、そして個人も、「品格」というものに頓着しない世の中になっていると感じることは実際に多い。藤原さんの本が売れるのは、そういうことを気にしている日本人が決して少なくはない、ということなのであろう。

結局、行き着くところはこのブログのテーマでもある「人はなぜ生まれ生きるのか?」ということであり、我々一人一人の生き様の問題である。品のない人の多い企業は品のない企業になるし、品のない人の多い国家は品のない国家となる。個人の品格を決める要素には、①持って生まれたもの ②家庭教育・躾 ③学校教育 ④友人関係 等々、さまざまな要素があると思うが、この際、自分にはどの程度の品格が備わっているのか?品格に長けた部分と欠ける部分があるとすればそれらがどういうところで、何に根ざしているのか?ということをいろいろと棚卸してみるのも良さそうだと考えている。

リーダーを目指す人間は品格においても秀でていなければならない、ということはまさに理屈ではない。品格のない人がトップになった組織は悲惨である。。。

    

2006年4月22日土曜日

新しいスタート

20年以上勤めた会社を3月で辞めた。人生の新しい章に進む為だ。初心に戻りたくて生まれ故郷の福岡を数年ぶりに訪れた。先祖から縁(えにし)の深い宗像大社を訪ねておみくじを引いたら、「古きを捨てて新しきにつくがよい あまり一つの物にとらわれて役にも立たぬことを思ってはだめです 元気を出して捨てるべきは捨て進む所へ進め」とあった。まさに今の自分の決意にぴったりで、励まされる思いがした。

いまだ自然に恵まれた故郷の原風景の中に、しばし身をおいて新鮮な空気を吸ううちに、しだいに心の中が浄化されて行く思いがした。人の魂というものは、俗世間に長年さらされているうちに、持って生まれた時の清らかな状態をどんどん失っていくものなのであろうか。。。「デトックス」が流行っているが、心も体も定期的に毒出しや浄化をすることによって本来の感性や生命力を蘇らせることができるのだとあらためて感じた。

これからしばらくの間、会社生活における長年の激務とストレスで疲弊した心身を回復させて完全な健康体を取り戻すプログラムを実行しながら、このブログを通じて「生きることの本質的な意味」について考えて行きたいと思う。