2006年9月13日水曜日

勇気ある問い掛け

9.11米国同時多発テロから5年目を迎えた報道特集番組か何かで、ABCのアンカーマン、ピーター・ジェニングス氏のことに言及している部分をたまたま見た。もともとカナダ国籍であった彼は、ジャーナリストとしての公平でニュートラルな立ち位置が評価されて長年に渡り広く人気を博したキャスターだったが、テロ発生時に、「なぜ米国はかくも恨まれるのか?」という問いを発したことによって、当時、極端に保守化し愛国化していた米国民から激しいバッシングを受ける羽目となった。特派員として中東に派遣されていた経歴を持つことにより、「中東寄り」「アラブ贔屓」とも非難された。ABCの視聴率は落ち、その頃から止めていたタバコをまた手放せなくなったという。結局、その後肺癌を患って昨年の8月に67歳で他界している。物静かで落ち着いた語り口の中にもアメリカの良識を代表するジャーナリストとしての信念と尊厳と温もりを感じさせる人物であった。

我が国では政治家の靖国神社参拝を巡る感情的な議論が、外国からの内政干渉も含めて長いこと続いているが、この問題に早急に決着をつけることは国家の責任であり、こういう問題に自ら決着を付けられない限り、日本は真の意味での一流独立国家とは言えないのではないかと感じている。北方領土問題しかりである。戦後、「国を憂える」とか「愛国心」などと言うと、それだけでアレルギー反応を示され、眉をひそめて「帝国主義者」とか「右翼」というレッテルを貼られる風潮が残っているが、根底には前述したピーター・ジェニングス氏への米国民のバッシングと共通する国民心理が働いているのではないだろうか?前者は攻撃の被害者としての感情論、後者は攻撃の加害者を意識するが故の感情論である。

靖国問題の論点は、太平洋戦争が侵略戦争であったのかどうか、という点と、A級戦犯の合祀、という点に集約されると思うが、先日、ある先輩と議論をした時に、その方は、「太平洋戦争が侵略戦争であった、という解釈は実は間違いであり、あれはそもそも自衛戦争であった」と主張しておられた。その裏付けとして彼が信じている根拠と論旨を丁寧に説明していただいたが、それなりの説得力があった。その主張の是非はともかくとしても、我々は常日頃、自分自身の歴史解釈というものに一体どれほどの確信と自信を持っているものなのであろうか?教科書で学び、新聞で得た知識をもとにした表面的な理解、自分勝手な解釈の範囲に留まっているとすれば、それはそれで危険なことである。国民が歴史を正しく解釈することがその国の発展に深く関わり「国家の品格」を高める原点となるからだ。特に、戦後の日本では、敗戦のショックと占領軍政策により、どこまで正しい歴史検証が貫かれ語り継がれてきたのかについては、必ずしも確信を持てない。

アメリカが正義の戦いと主張し、圧倒的な国民の支持のもとに実行したイラク戦争の根拠とされた大量破壊兵器は結局見つからなかった。その後アフガニスタンもイラクも泥沼化する一方で、テロの悲劇と恐怖は世界中に拡散している。今こそ、米国民はピーター・ジェニングス氏の内なる問いを真剣に受け止め直すべきであるし、日本国民も歴史考察の精度を高めて、戦後60年の先送り課題、積み残し課題への全面決着を目指し、真の独立国家としての誇りと活力を取り戻すべき時期に来ている。新しい首相の誕生がそのきっかけとなることを期待している。

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ピーター・ジェニングスを検索していたら下記のブログ記事を見つけたのでリンクさせていただく。
「ピーター・ジェニングスの死」、見物人の論理(念仏の鉄)

1 件のコメント:

MasterMind0710 さんのコメント...

Wさん、

コメントありがとうございます。

ブッシュ大統領への批判が高まっていますが、彼を2度も大統領として選んだのは米国民自身です。あの僅差ですっきりしなかった1度目の大統領選で仮に民主党のゴアが大統領になっていたらその後の世界のあり方もかなり変わったものになっていたでしょう。もちろん、歴史に「もし」は存在せず、これが現実ですが、国家の現実を作っているのは他でもない国民一人一人であることを我々も忘れてはならないと思います。