2006年8月19日土曜日

八月葉月

毎年8月には6日と9日の原爆記念日やお盆があって、15日が終戦記念日。その一週間後の22日は実母の祥月命日だ。人の生と死について考えたり思い出したりする機会の多い月だ。明朝は墓参と法要を行う予定。

母は私が30代半ばの頃、66歳でこの世を去った。我慢強く、周囲に対する気配りの行き届いた人で、自分の事はいつも一番後回しだった。厳父慈母の言葉通り、何事も自分中心で子供達に対しても人一倍厳しかった父に対して、母はいつも優しかった。風邪を引いて高熱を出したとき、長い距離をおぶって町の病院に連れて行ってくれたこともある。自家用車などない時代の田舎暮らしで、交通の便も悪かった。母の背中でバナナを食べたことを思い出す。

その優しかった母に一度だけ激しくしかられ体罰を食らったことがある。まだ3歳か4歳の幼い頃、母が買い物の最中に、店の前で一人で遊んでいて、近くにいた見ず知らずの幼児に暴力を振るった時だ。通りすがりの人が見咎めて、店から出てくる母を待ち構え、私の理不尽な行為を通報した。その行為を、弱い者いじめ、と感じた母は、無言で私の手を強く掴んだまま家に連れて帰り、そのまま平手で何度も尻をぶった。一切の手加減を加えることなく、幼い息子の尻を延々と叩き続け、卑怯な行為を決して許さなかった。

最期には病気と何年も闘い苦しんだが、弱音を漏らすことはほとんどなかった。亡くなる直前まで希望を捨てずに前向きに病気と闘い、生きようと努力を続けた。そして、どんな状態に置かれても、常に周囲の人達への感謝や心配りを忘れることはなかった。

もう亡くなってから長い月日が過ぎ去ったが、未だに耳の奥底には母が元気だった頃の話し声や笑い声がよみがえる。

「孝行のしたい時には親は無し」。結局、生前には十分に母の恩に報いることは出来なかった。心配と苦労ばかり掛けた気がする。せめて毎年の命日には十分な供養を心掛けるようにしたい。

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