2006年7月16日日曜日

ジダンの頭突き

ジダンの頭突きの話題がいまだ盛り上がっている。いったい、彼とマテラッツィの間にいかなるやり取りや確執があったのか真相はわからないが、ジダンがTVインタビューで言った通りの侮辱があったのならば、頭突き大いに結構だ。それがジダンの限界でもあり、スタイルでもあるのだから。

ようやく苦労の末に勝ち進んだワールドカップの決勝戦という晴れ舞台、しかもこれが自分の現役最後の試合、ここで活躍してフランスを勝利に導けば自国のみならず、世界中の英雄だ。その名声は揺るぎないものとして後世に長く語り継がれること間違いなしだ。実際にあんなことでジダンが退場にならなければフランスが優勝したかもしれなかった。だから、よっぽどの馬鹿か見境いのない人間でもない限り、晩節を自ら汚すような行為は慎み、フランスチームの勝利に向けてわずかな残り時間集中しようとするのが常識だろう。何を言われたとしても黙殺して次のプレーに進むのが大人として、プロとしてのあるべき姿だ。

しかし、ジダンは自分と自分の家族が受けた辱めに対して、一瞬の躊躇もなく、勝利も名声もかなぐり捨てて、愚挙に出た。そこにジダンの男としての生き様を垣間見た気がする。彼は馬鹿でも見境いのない人間でもないから、愚挙の直後にはただちに冷静さを取り戻し、自分のやった行為を自ら断罪し、一切悪あがきすることもなく潔く退場して行った。フランスのTV局のインタビューでは子供達を失望させたことに関しては謝っていたが、自分の行為を否定はしなかった。

人生において忍耐が大切であることは当然だが、耐えてはいけない時もある。耐えるべき時に耐えられず、耐えてはいけない時に耐えている人が多い中で、あの瞬間は少なくともジダンにとっては耐えてはいけない瞬間だったのだ。彼の生い立ちを詳しくは知らないが、アルジェリア移民として、自分と家族の尊厳や誇りを守る、ということに対する感度は人一倍強く、それはフランスの名誉よりも重いものであったのかもしれない。だから、賢者の判断ではあそこは耐えるべき瞬間だったのにも関わらず、逆の行為、すなわち、すべてを瞬時にして捨て去る一見無謀な行為に及んだのだ。そこには一切の打算も計算もない。純粋な気持ちの高まりがあっただけだ。

何人(なんぴと)にも守る対象があるはずだ。それが傷つけられたときに牙を剥くのは人間の本性だ。理性ではない。この一件で、2つの映画を思い出した。ひとつはラッセル・クロウが主演した「グラディエータ」、もうひとつはメル・ギブソンが主演した「パトリオット」だ。「グラディエータ」では、愛する妻子を惨殺されたローマの英雄が剣闘士として生き延びながら復讐の鬼となった。「パトリオット」では、次男を目の前で射殺された父親が、生来の獣性を取り戻して復讐の鬼となった。どちらもむごい映画だったが、絶対に許したり耐えてはいけない相手と行為に対して、ただひたすら「その時」を狙って耐え続ける内容で心に残った。

状況が状況でもあり、あまりにも直情的に見えたジダンの行為に対しては擁護派と攻撃派に分かれるだろうけれど、あの何のためらいのない一瞬の頭突きに、一種の人の生き方の潔さを感じて痛快な思いがした。私はあの頭突きでジダンの本当のファンになり、今後の彼の生き方に興味を感じるようになった。

    

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

ジダンに厳しい処分が決定された。このブログにあるように、ジダンの行為については同情から戒めまで様々な憶測や解釈があると思うけれど、彼の行為の問題は、「相手にした」という点にあると私は考えている。

「相手にする」ということは、卑劣な行為に及んだ相手と「同格」になるということだ。悪意を持った相手に、力ずくで足を引っ張られたとして、それに呼応し戦うことは「やられたらやり返す」の永遠の繰り返しに嵌るだけだ。たとえ、その最初の一歩が、純粋な気持ちだけであったとしても。その果てに、晴れ晴れとした誇りや尊厳が存在するのだろうか…疲労が身体と精神を蝕むだけではなかろうか。

瞬間的にカッとなったり、ムカついたり、そういう感情は在る。私はこれを押し殺し自分にウソをつくつもりはない。しかし、自分の感情を野放しに、本末転倒な結果を導くようなことだけにはならないようにしていきたいと思っている。

ジダンの今後には、私も注目していきたいと思う。

MasterMind0710 さんのコメント...

lucenteさんへ
コメントどうもありがとうございます。本筋としてはその通りだと思います。「カッ」と来たときには自分の目線を上げて、「相手にしない」、というスタンスを保てればベストだと思います。「相手にする」、ということ自体、おっしゃるように相手と同じ目線、同じレベルに自分を下げる、合わせる、ということになってしまいますものね。「ジダンの限界」と最初に書きましたが、今のジダンはそのレベルなのだと思います。でも私はそこにジダンの純粋な人間味を感じました。彼には今後まだまだ人間としての成長の余地が大いにある、ということだと思います。純粋な人間、自分を偽らない人間には常に器を大きく出来る素地があると思います。偉そうに、人のことなど言える立場ではありませんけど(笑)。いずれにしろ、今回のジダンへの厳しい措置は当然ですし、また喧嘩両成敗でマテラッツィも処分されることになったのはフェアでよかったと思います。貴重なご意見をいただきありがとうございました。引き続きよろしくお願い致します。