2006年9月27日水曜日

追伸

お久し振りです。

先日の投稿に対して何人かの皆様からとても暖かいメッセージをいただきました。一部、実名や本名が掲載されていたのでここでの公開は控えさせていただいたものもありますが、メールでのコメントも含めて、メッセージを頂戴したすべての皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

先週は、5月末に引き続き、再びシリコンバレーに行っておりました。私はずっと国内に居ると息が詰まってしまう体質なので、久々のカリフォルニアの新鮮な空気は体にも脳細胞にもとても良かったです。やはり彼(か)の地には不思議なエネルギーが満ち溢れています。世界中から、優秀な頭脳が夢を求めて自発的に集まり、不屈のチャレンジを続けていることによる「気」のエネルギーとでもいうものを強く感じます。会う人、会う人、皆とても生き生きと自分の仕事に誇りと自信を持ち、人生を謳歌している気がします。きっとこの地域に集まってくる人達は人一倍向上心が強く、「より良い生き方」を求めることに対して貪欲なのだ、というふうにも思います。

今、いろいろなしがらみで一歩を踏み出せずに悶々としている方々に勧めたいのは、やはりまずは旅行や出張などのテンポラリでも構わないから環境を変えてみる、ということです。自分が身を置いている組織や集団の正義や論理、ルールが世の中のすべてではないからです。そうすると、自分が日常的に晒されている価値観とは全く異質の発想やロジックに触れることが出来て、新たな自信に繋がったり、行動の勇気も沸いて来ます。

先日の投稿、「勇気ある問い掛け」を読まれた方から、素晴らしいメッセージを頂戴しました。以下、引用させていただきます。

「(前略)どの史実も決して単純に白黒分けられるものではなく、立場によって見方も違ってきます。ただ共通点として、世論というか大衆の思いが、なにかのきっかけで大きくうねって流れ出してしまうと、ちょっとやそっとじゃ止められなくなる…ということを強く感じます。 そういう瞬間の積み重ねが、うねりとなって大きく歴史を変えていく現実を恐ろしく思いました。 そう考えると、私も一人前の社会人として今の日本という社会で起こっていることを正しく認識する義務を負っていることを痛感します。世論はなにに向かっているのか。正論はどこにあるのか。世論のおかしな部分を修正する努力をしているのは誰なのか。それに自分が協力できることは何なのか。 みんなが言うからと流れに身を任すのではなく、自分はどう考えるのか、きちんと向き合おうとする意識を持つことが何より大切だということ…。(後略)」

以前に「人間は弱い」、と書きましたが、人はとても流されやすい存在です。よほど意識してしっかりしていないと、きちんと自分自身の目や耳で確かめたり頭で考えることも無く、単純に周囲の声の大きな意見や、圧力や、無責任な風評や、第三者やメディアの論評に影響されて、知らず知らず自身の発想や行動を支配されていってしまうのです。

「より良い生き方」に対して妥協しない貪欲な態度、というのは、後悔の無い人生、そして結果的に幸せな人生を全うするために、私は非常に重要なことだと思います。その為には、常に自分自身の視点を保ち、自分自身の頭で考え、自分自身の心で感じる力を萎えさせない努力を怠ってはならないと思います。「流されるもまたよし、それもまた人生」という禅坊主のような達観もあるかもしれませんが、少なくとも今の私は、まだまだ、「流されない人生」「妥協しない生き方」にあくまでもこだわっていきたいと感じております。

2006年9月17日日曜日

感謝の気持ちを込めて

自分自身も含めて「人間とは弱い存在である」という一片の真理を実感として理解出来るようになってきたことがここ数ヶ月間の一番の収穫であるかもしれない。

これは、今現在、どんなに権勢を誇り、勢いがあるように見える人であってもあまねく「弱い」という点においては共通である。順風満帆な時にはそんなことには気付かない。

ここを真に理解出来るかどうかがその人間の生涯の「器」や本当の意味での「強さ」を決めるのではないかという気がする。

さて、4月から綴ってきたこのブログであるが、今月末を以って終息させることにしようと考えている。実は、今月中に新たな法人の設立を二件行うことにしている。一つは私の個人事務所を設立して法人として登記、もう一つは仲間達と一緒に新会社の設立に関わる。どちらも、荒天の中へのヨチヨチ歩きがどこまで上手く行くか何の保証もないものだが、自分自身の再スタートの一環として真剣に取り組んで行く。

失業日記、浪人日記としてこのブログを開設し、自分の気持ちを整理する意味でいろいろなことを勝手に語らせていただいて来たが、そういう意味ではこのブログの役割も終わりに近づいたと感じる。読者の皆さんには大いに励まされて来た。心から感謝している。再出発後はまた別の形でメッセージ発信を再開するつもりなので、いずれ、そこでの皆さんとの再会を楽しみにしている。

なお、今月中はまだ投稿を続けるつもりなのでこれが最後の投稿ではない。あるいは途中で気が変わって今しばらくこのブログを続けることにするかもしれない。いずれにしても、まだ、to be continued.

2006年9月13日水曜日

勇気ある問い掛け

9.11米国同時多発テロから5年目を迎えた報道特集番組か何かで、ABCのアンカーマン、ピーター・ジェニングス氏のことに言及している部分をたまたま見た。もともとカナダ国籍であった彼は、ジャーナリストとしての公平でニュートラルな立ち位置が評価されて長年に渡り広く人気を博したキャスターだったが、テロ発生時に、「なぜ米国はかくも恨まれるのか?」という問いを発したことによって、当時、極端に保守化し愛国化していた米国民から激しいバッシングを受ける羽目となった。特派員として中東に派遣されていた経歴を持つことにより、「中東寄り」「アラブ贔屓」とも非難された。ABCの視聴率は落ち、その頃から止めていたタバコをまた手放せなくなったという。結局、その後肺癌を患って昨年の8月に67歳で他界している。物静かで落ち着いた語り口の中にもアメリカの良識を代表するジャーナリストとしての信念と尊厳と温もりを感じさせる人物であった。

我が国では政治家の靖国神社参拝を巡る感情的な議論が、外国からの内政干渉も含めて長いこと続いているが、この問題に早急に決着をつけることは国家の責任であり、こういう問題に自ら決着を付けられない限り、日本は真の意味での一流独立国家とは言えないのではないかと感じている。北方領土問題しかりである。戦後、「国を憂える」とか「愛国心」などと言うと、それだけでアレルギー反応を示され、眉をひそめて「帝国主義者」とか「右翼」というレッテルを貼られる風潮が残っているが、根底には前述したピーター・ジェニングス氏への米国民のバッシングと共通する国民心理が働いているのではないだろうか?前者は攻撃の被害者としての感情論、後者は攻撃の加害者を意識するが故の感情論である。

靖国問題の論点は、太平洋戦争が侵略戦争であったのかどうか、という点と、A級戦犯の合祀、という点に集約されると思うが、先日、ある先輩と議論をした時に、その方は、「太平洋戦争が侵略戦争であった、という解釈は実は間違いであり、あれはそもそも自衛戦争であった」と主張しておられた。その裏付けとして彼が信じている根拠と論旨を丁寧に説明していただいたが、それなりの説得力があった。その主張の是非はともかくとしても、我々は常日頃、自分自身の歴史解釈というものに一体どれほどの確信と自信を持っているものなのであろうか?教科書で学び、新聞で得た知識をもとにした表面的な理解、自分勝手な解釈の範囲に留まっているとすれば、それはそれで危険なことである。国民が歴史を正しく解釈することがその国の発展に深く関わり「国家の品格」を高める原点となるからだ。特に、戦後の日本では、敗戦のショックと占領軍政策により、どこまで正しい歴史検証が貫かれ語り継がれてきたのかについては、必ずしも確信を持てない。

アメリカが正義の戦いと主張し、圧倒的な国民の支持のもとに実行したイラク戦争の根拠とされた大量破壊兵器は結局見つからなかった。その後アフガニスタンもイラクも泥沼化する一方で、テロの悲劇と恐怖は世界中に拡散している。今こそ、米国民はピーター・ジェニングス氏の内なる問いを真剣に受け止め直すべきであるし、日本国民も歴史考察の精度を高めて、戦後60年の先送り課題、積み残し課題への全面決着を目指し、真の独立国家としての誇りと活力を取り戻すべき時期に来ている。新しい首相の誕生がそのきっかけとなることを期待している。

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ピーター・ジェニングスを検索していたら下記のブログ記事を見つけたのでリンクさせていただく。
「ピーター・ジェニングスの死」、見物人の論理(念仏の鉄)

2006年9月10日日曜日

ほっとけない

最近、とんでもない事件が後を絶たない。子が親を殺す、親が子を虐待して死なす、友達に頼んで親を殺す、学校で友達を殺して自分も自殺する、いい加減な設計と施工で欠陥マンションを量産し販売する、公務員が酒酔い運転で何の落ち度も無い人達を殺す、岐阜県職員が裏金の発覚を恐れて現金を廃棄焼却する、社会保険庁が年金で出鱈目をする、自衛隊が民家に向けて実弾を誤射する、、、最近の話だけでも、挙げ始めるときりがない。こんなことが続くと本当にこの国は滅びてしまうのではないかと思う。

ホリエモンの事件も、検察との全面対決とのことで、スーツを新調し大手を振って法廷に向かうホリエモンの姿がテレビに映し出され、「悪意に満ちた罪状で起訴された自分は何の罪も犯していない」、といけしゃぁしゃぁと主張する。

横浜の名門私立高校の通学路で無謀な危険運転をして将来ある高校生の列に突っ込み、多数を死傷させた被告が事故直後に救済行動も取らずその後の反省も無いまま無実を主張する。

酒を飲んで運転し、停車している車に追突して水中に落下させ、幼子(おさなご)を3人も殺した加害者がそのまま逃げて慌てて水を大量に飲み、飲酒をごまかそうとする。

みんながみんな、自分のことしか考えていない。自分のエゴで迷惑を掛けてしまった人達に謝罪すらもしない。失敗や過ちを認知する謙虚さのかけらも無い。自分が死なせたり、怪我をさせてしまった人を救助しようとする人間としての最低限の良識すらも持ち合わせていない。

日本は一体何でこんな国になってしまったのか?そしてここまで乱れた国を少しでも良くするためには我々に何ができるのか?

信じられないような事件が報道されるたびに、自問自答する日々が続く。少なくとも、このような世相になってしまった根底に何があるのか、ということに関して我々は無関心でいてはならない、と思う。

2006年9月8日金曜日

オフ会

今日は、所属しているあるSNSで最近結成したコミュニティの2度目のオフ会を行った。基本的に知り合って間もない少人数のメンバーだが、皆、知的かつ個性的でとても面白い人達だ。好奇心と探究心に溢れ、会社や現在の仕事だけに依存せずに、それ以外の自分の世界をたくさん持っていて幅広く勉強も続けている。実践にも積極的だ。皆、自分よりはるかに若いのに素晴らしいと思う。普段、SNSの中でコミュニティのテーマに沿ったコミュニケーションをしているので、オフ会で久々に会っても、普段のオンラインでの会話の延長線上で話も弾む。本当に楽しく面白い時代になったものだ。

一方、昨日はまったく毛色の違う集まりに参加した。こちらも少人数だが、自分よりも年配の人達、50代、60代の人達の集まりで自分が最年少。皆さん、憂国の士であり、一緒に進めようとしているある計画について、全員で青年のように目を輝かせて議論した。いくつになっても夢やチャレンジ魂を失わない男達は見掛けも実年齢よりはるかに若く見える。

どちらも会社を辞めなかったら決して出会うことの無かった集いだと思う。あらためて貴重なめぐり合わせに感謝。

2006年9月2日土曜日

天国のバカンス

松任谷由実の歌でサーフ天国とかスキー天国って歌があったけど、天気のいい日に大自然を相手にするスポーツは最高だと思う。波乗りもスキーも長いことやってないけど、見ているだけで若かりし日々の思い出がたくさん蘇るし、これからもまだなんでもやれるような気になってくる(笑)。写真は泊まったコンドミニアムのテラスから撮ったワイキキビーチでサーフィンをする人達。毎朝、早朝からサーファーがたくさん出ている。



海沿いでホノルルからカイルアに行く途中にあるハナウマベイに初めて行ったのはやはり初めてハワイに来た時だった。当時はびっくりするくらいたくさんの魚がおよぐ綺麗な浜だった。その後、観光客が激増して浜や海が荒れて汚れてしまい、魚もいなくなって一時閉鎖されたと聞いている。その後、環境保全に注意しつつ再開しているが、魚の数は昔ほどではなくなってしまった。しかし湾の景色は相変わらず美しい。



やしの木の葉が風でそよぐ音は実に南国らしく、のんびりとした気分に浸れる。ハンモックでもつるしてトロピカルドリンクを飲みながら日がな本でも読んでいられたら最高に至福の時間。今回も読みきれないくらいの本を持って行ってしまった。

写真はハナウマベイのビーチに寝転がって撮ったやしの木。

2006年9月1日金曜日

天国の海

ハワイに初めて行ったのは21歳の時だった。お金が無いので、海も見えないホノルルの街中の安ホテルに泊まった。当時は波乗りにはまっていたので、日本でも湘南海岸や千葉、茨城の海によく出掛けていて、日本の海も捨てたものではない、と思っていたのだが、それでも初めて見るハワイの海の美しさには圧倒されて言葉もなかった。それ以来、すっかり虜となり、結婚して家族が出来た後も繰り返し訪れるようになったが、ここしばらく、仕事や家庭の都合でまともな夏休みも取れず、どこにも行くことが出来なかったので、今回は3年ぶりの訪問となった。


長いこと、オアフ島はパスして離島で過ごすことが続いたので、今回は久々にワイキキの喧騒等も懐かしくなり、「オアフ島再発見」をテーマに全日程をオアフ島で過ごすことに決めて出掛けた。前半を閑静なカハラのホテル、後半を賑やかなワイキキビーチ沿いのコンドミニアムに泊まった。

実は、個人的には今回のハワイ訪問には特別な思いを込めていた。会社生活で多忙を極める日々が続く中での唯一の「オフ」の象徴がハワイでのバケーションだったが、行くたびに疲れ果てた心と体が蘇るように癒されてきた。今回は4月以降、長年の会社生活を一旦リセットし、新しい生き方を模索し続ける中で、やはりまとまった時間、日常を遠く離れて頭と心を深呼吸させる必要性を感じていた。その為の訪問先としてハワイは最適に思えていたからだ。

ところで、ハワイを訪れるときに原則として必ず最初に訪問する場所がある。パールハーバーだ。今回もホノルルに到着してからレンタカーで最初に向かったのはホテルとは反対方向のパールハーバー。ここから始まった太平洋戦争は多くの犠牲と悲劇を生み、現在の日本の繁栄はそういう過去の歴史の延長線上にあることを決して忘れてはならない。子供達にもあらためて言って聞かせる。

今はのどかな観光地ともなっているこの軍港の一角で、しばし当時の歴史に思いを馳せ、祈りを捧げてからハワイでのバケーションをスタートさせる。

写真は、カイルアの奥にあるラニカイビーチからの景色。天国の海、という意味だそうだ。