2006年8月31日木曜日

「会社幕藩体制からはプロ経営者は出ない」

遅めの夏休みでしばらく家族を連れて旅行に出掛けおり、昨日帰って来ました。

旅行中に、前回の投稿に対してKaさんからご意見、ご質問をいただき、コメント欄で取り急ぎのお返事を差し上げましたが、時を同じくして以下の記事を教えて下さった方がいるのでご紹介します。産業再生機構の冨山和彦さんのインタビュー記事です。

「会社幕藩体制からプロ経営者は出ない」(NBonline)

ここにもKaさんのご質問へのお答えの一端が代弁されていると考えますので、引用させていただきますね。私としては非常に同調出来るご意見と感じました。

2006年8月21日月曜日

続・脱藩のすすめ

母や先祖の法要を無事に済ませて参りました。

以前に「脱藩のすすめ」というテーマで投稿しましたが、写真で載せた坂本龍馬について少し補足したくなりました。Mixiで参加しているあるコミュニティ内でのやり取りがきっかけです。

私の龍馬に関する知識はもっぱら司馬遼太郎の「竜馬がゆく(原題通り)」が中心になっていますが、彼の素晴らしさはやはり抜きん出た時代感覚の持ち主であったことだと思います。政治家でも経営者でも、この時代感覚が鋭くないと決して一流にはなれないと思います。未来が見えていて、そこから自分の今の行動を決める、というところですね。世の大半の人は、今現在しか見えていなくて、発想も行動もそこからの積み上げになりがちだと思いますが、結果から逆算する演繹的な発想と行動が出来る人はやはり一味違う生き方が出来ると思います。この辺の考えについては、これも以前の投稿、「日経新聞広告から」にも引用の形で載せました。

龍馬は革命家としてだけではなく商人としての才覚にも秀でていたのだと思います。亀山社中、後の海援隊は、龍馬が作った私設軍隊兼日本初の株式会社にあたるのだと思いますが、このような形で浪士を集めて財源と軍事力を組織化した発想と行動力は実にみごとだと思います。だからこそ、薩摩も長州も彼の言うことを聞かざるを得なかったのでしょう。どんなに正しいことを主張しても、口先だけだったら相手にされませんよね。だから、脱藩とは言え、ただ脱藩するだけでは駄目なのです。このような先見性と知力と行動力があったからこそ、浪士が結集して時代を変える求心力を創り上げることができたのでしょうね。

2006年8月19日土曜日

八月葉月

毎年8月には6日と9日の原爆記念日やお盆があって、15日が終戦記念日。その一週間後の22日は実母の祥月命日だ。人の生と死について考えたり思い出したりする機会の多い月だ。明朝は墓参と法要を行う予定。

母は私が30代半ばの頃、66歳でこの世を去った。我慢強く、周囲に対する気配りの行き届いた人で、自分の事はいつも一番後回しだった。厳父慈母の言葉通り、何事も自分中心で子供達に対しても人一倍厳しかった父に対して、母はいつも優しかった。風邪を引いて高熱を出したとき、長い距離をおぶって町の病院に連れて行ってくれたこともある。自家用車などない時代の田舎暮らしで、交通の便も悪かった。母の背中でバナナを食べたことを思い出す。

その優しかった母に一度だけ激しくしかられ体罰を食らったことがある。まだ3歳か4歳の幼い頃、母が買い物の最中に、店の前で一人で遊んでいて、近くにいた見ず知らずの幼児に暴力を振るった時だ。通りすがりの人が見咎めて、店から出てくる母を待ち構え、私の理不尽な行為を通報した。その行為を、弱い者いじめ、と感じた母は、無言で私の手を強く掴んだまま家に連れて帰り、そのまま平手で何度も尻をぶった。一切の手加減を加えることなく、幼い息子の尻を延々と叩き続け、卑怯な行為を決して許さなかった。

最期には病気と何年も闘い苦しんだが、弱音を漏らすことはほとんどなかった。亡くなる直前まで希望を捨てずに前向きに病気と闘い、生きようと努力を続けた。そして、どんな状態に置かれても、常に周囲の人達への感謝や心配りを忘れることはなかった。

もう亡くなってから長い月日が過ぎ去ったが、未だに耳の奥底には母が元気だった頃の話し声や笑い声がよみがえる。

「孝行のしたい時には親は無し」。結局、生前には十分に母の恩に報いることは出来なかった。心配と苦労ばかり掛けた気がする。せめて毎年の命日には十分な供養を心掛けるようにしたい。

2006年8月13日日曜日

予期せぬトラブル

前回の投稿含め、このブログでも繰り返し触れている通り、Web2.0と呼ばれるインフラの整備や環境変化が我々にもたらす恩恵には底知れないものがあるが、そこと出入りする為の個人の道具は、日本では携帯が伸びているものの、やはり依然としてPCが中心になっている。ということは、つまるところ、やはりWindowsそして、IE(Internet Explorer)に依存している人が大半だと思う。これだけのデファクトを一代で築き上げたBill Gatesはやはり凄い。継続は力なりの典型だ。Googleの隆盛だって、言って見ればこのような先代が作り上げたデファクトの存在なしにはありえない。

一方、既に日常生活のインフラとしてライフラインに次ぐ存在となったインターネットへのアクセスが突然トラブルに見舞われるとこれは本当に困り果ててしまう。実は今週末、何かの拍子に普段メインに使っているPCのブラウザ(IE)が突然トラぶり、特定のサイトのブラウジングが極端に重くなってまったく使い物にならなくなってしまった。別のPCからアクセスするとなんら問題はないので、それらの特定のサイト側に原因があるわけではない。きっかけはわからないが、おそらく手元のPCのセキュリティ関係の設定が書き換わったか壊れてしまった為であろうとめぼしをつけ、原因究明を始めたものの、どういうわけだか設定を元通りに戻してもトラブルが解消されず、結局土曜日を丸々潰す羽目になってしまった(涙)。もともと、ネット証券の口座にオンラインバンクから直接入金できるようにセキュリティ設定をマニュアルで設定し直したりしているので、今回のトラブルを解消するための作業が他の操作に悪影響を与えないように注意しなければならない。ようやくActiveXコントロールのセキュリティレベルの設定が原因になっているということを突き止めるまで、システムの復元含めて、考え得るありとあらゆる調査を行い、本当に疲れ果ててしまった。見つけてみればなんてことはないのかもしれないし、手馴れている人だったらもっと要領もいいのかもしれないが、普段順調に行っていることが突然トラブルに見舞われた場合のリスクやコストについて大いに考えさせられた。

最近では、ブラウザの機能を補助したり拡張するアドオンと呼ばれるサードパーティのプログラムがやたらと出回って自分でも無意識にインストールしてしまったり、あるいは、Winnyによる個人情報や機密情報の漏洩問題とか、やれフィッシングだ何だと、ネットを横行する悪事も後を絶たないため、ファイアウォールやアンチウィルス等のセキュリティ関連ソフトが高度化しており、その条件設定や、ブラウザのセキュリティ設定が非常に複雑多岐になっている。

皮肉なことに、トラブルシューティングの作業でも検索エンジンとオンラインサポートが不可欠なのだが、各種オンラインサポートのサイトも一頃に比べれば格段に充実し親切な内容になっている。とはいうものの、肝心なところでの記述があいまいだったり、わかりにくかったり、抜けていたりするケースも散見され、自己診断や自己修復の技術等も今後は更に進歩が望まれるところだろう。

いずれにしても、コールセンターがオープンする月曜まで待たずに、発生したトラブルをその日のうちに自力で解決できたのだから、まあ、いいことにしようか。ただ、予備のブラウザとか、環境設定のバックアップとか、喉もと過ぎれば、にならないよう、今回のことを教訓としておきたいと思う。

2006年8月11日金曜日

脱藩のすすめ

世の中の秩序が大きく変わる時、その源流は常に反主流の中から発生する。明治維新という歴史的なパラダイム転換は、その前夜、時代の先を見据えて危機感を持った若者達の体制離反、いわゆる「脱藩」という行動を促した。脱藩した憂国の志士達、すなわち命がけで体制離反した人達のエネルギーの爆発が古い秩序を打ち破り新しい秩序を構築する大きな原動力となった。

これを今の時代に置き換えると、自分が長年所属してきた組織を飛び出す、たとえば会社を辞める、という行為がそれに近い。もちろん、会社を辞める理由は人それぞれであろうから、自分自身の時代観や大局観に基づいた大所高所の危機意識に裏付けられて退社した場合の話である。そしてその行動力と志や理念を共有できる人達が集い、力を合わせれば、そこにひとつの新しい秩序や価値を生み出す緒となるエネルギーが誕生する。

今の時代はブログもあればMixiもある。ネットやコミュニティの力をレベレッジとして上手く活用すれば世の中に分散しているエネルギーを束ねることも容易に出来る。維新前夜の憂国の志士達から見れば、びっくりするようなインフラが整っているのだ。しかもそれらが個人にはおおむね無料で開放されている。その価値はいくら過大評価してもし過ぎることはない。実に恵まれた時代だ。

既存秩序の中で息苦しさを感じている人達には思い切って行動することをおすすめする。人生の持ち時間は限られているのだから。

遠い夏の日

毎年夏になると思い出す遠い遠い昔の鮮明な思い出。中学生の頃。初めてのデート。代々木公園で缶ジュースを2つ買い、ベンチに並んで腰掛けて何時間も話し込んだ。学校のこととか家のこと。たわいもない話。指一本触れぬプラトニック。あれから信じられないような長い長い時間が過ぎた。それでも毎年夏が来るとまるで昨日のことのように鮮明に蘇る遠い夏の日の思い出。

2006年8月9日水曜日

喧嘩の是非

以前にここでジダンの頭突きの件を書いた。賛否両論あったと思うが、先日、自宅の本棚を見回していて古い本であるが、江波戸哲夫さんの「辞めてよかった!」(日本経済新聞社)が何年かぶりに目にとまり開いてみた。1996年の初版本であるから、昔からいつか会社を辞めることは想定していたのだろう(笑)。

そこで見つけた以下のくだりが、「ジダンの頭突き」で述べたことにも通じるようで共感したので以下に書き写す。

「フリーであれ、サラリーマンであれ、まず自分をきちんと主張し、それでも納得いかない場面で喧嘩をするのは、とても大事なことだと思う。喧嘩をすれば短期的には損をするかもしれないし、間違いなく翌朝には苦い自己嫌悪に陥る。それでもなお喧嘩をすることは大事だ。喧嘩をしないまま我慢をすると、必ず自分の中の何かをすり減らす。それは自分を自分としてシャンと立たせている何かである。その何かを失っては、サラリーマンとして、あるいはフリーとしてシャンと立てず、つまりはいい仕事ができるはずがない。いや、いい人生を送ることができないとさえいえよう。喧嘩などしないでもシャンと立っている人も稀にはいる。私もそういう人に憧れるが、多くの場合、それはさんざん喧嘩をして、損な目にも遭い、自己嫌悪を何度も味わってから得られる境地だろう。(中略)『この喧嘩で、自分は何を守り、何を失うか』という二者の比較考量であろう。なんの計算もなく思う存分喧嘩をできるほど私は大物ではない。言い方を換えれば、その計算の幅がその人の幅なのだろう。サラリーマン時代にその幅をできるだけ拡げておくことが、企業という存在を相対化し、そこを飛び出す準備ともなるだろう。」

人間、譲ってはいけないところでは決して譲るべきでない、という主張には少なからず共感。その為には会社を辞める、という喧嘩を売らねばならないことだってある。

2006年8月8日火曜日

厄日

先週の土曜日の出来事。

お誘いいただいたゴルフに出掛けた時の話。

いつもは比較的近場でラウンドすることが多いのだが、この日は、相模湖の近くというかなり遠方のゴルフ場。住んでいる横浜からのルートとしては、国道16号線を抜けて行く一般道のルートと、距離的には遠回りになるが、首都高で新宿に回りこみ、そのまま中央高速に乗るという高速ルートの2つがある。道が空いていれば高速ルートの方が時間的には早い。やや悩んだあげく、高速ルートを選んだ。

家を出発したのはスタート時間の3時間半前。若干の渋滞があったとしても、3時間半もあれば幾らなんでも十分だと思った。道が空いていれば1.5時間程度の道のりだからだ。しかし、横羽線にのってすぐに不吉な兆し。芝浦近辺から渋滞が始まったのだ。まだ、朝の7:00前である。ラジオの交通情報では、中央高速が高井戸から既に30キロ近い渋滞というアナウンス。絶体絶命じゃないか!

なんとか高井戸にたどりついたが、アナウンス通り、ETCも意味のない乗り口からの大渋滞。相模湖インターまで想定所要時間2時間という表示が出ている。スタート時間にはとても間に合わない。ちなみに私の車にはナビは積んでいない。

そこで、一緒に回るパーティの人に「間に合わないかもしれない」と携帯で緊急連絡をした。その時に、下の道はそんなに混んでいないという情報。調布で中央高速を降りて甲州街道に乗り換えた。結果的には一般道もひどく混んでいてずっとのろのろ運転。もはや、何時に着くか、まったく目処が立たなくなり、再度電話をして、状況を説明し、パーティに迷惑を掛けるのも気が引けたので、3人で回ってもらうこととして「このまま引き返そうかと思う」、と告げた。しかし、「遅れてもいいから是非来て下さい」という返事に励まされ、Uターンをかろうじて思い留まる。

ようやく、八王子バイパス乗り口近辺までたどり着いた。そこでは渋滞も解消し、道も前方に開けた。スタート時間には間に合わなくても若干の遅れで何とかなるかもしれない、と少しアクセルを踏み込んだ。そのとたん、後ろに赤灯を廻す白バイが。。。万事休す。路肩に寄せて車を止めると、白バイの警官が「少しスピード出てましたね」と嬉しそうに近寄って来る。渋滞が解消してバイパスに乗るところで待ち構えているとは、かなりたちが悪い。これではまるではめられたようなもの。いろいろと言い訳をまくし立てたが口頭注意で済ましてくれる気配もなく、26Kmオーバーであえなく減点3点の罰金¥18000也。しかも、処置が完了するまでに20分以上も待たされる。泣きたい気分。

「こうまでしてゴルフなんて馬鹿げている」、運転を再開し、はらわたが煮えくり返る思いを押し殺して冷静になろうと努める。そもそも、こんな災難を呼び込むのは何故か?この踏んだり蹴ったりの出来事が自分に伝えようとしている事は何なのか?この災いから自分は何を学ばねばならないのか?、引き続き先を急ぎながらも、あえてそんな風に考えてみる。そう考えると、これは災いではなくて、自分が引き起こした顛末ではないのか?と思えて来た。以下、分析結果。

(1)準備不足:ルート検索が中途半端だった。ゴルフ場までの道のりをもっと丹念に検討していれば恐らく国道16号を使う一般道ルートを選ぶべきだった。

(2)楽観の災い:今までの経験則から、高速ルートがこんなに渋滞しているとは想定しなかった。夏休み中でもあるし、道路事情については最悪の状況を想定すべきであった。

(3)注意不足:普段は警察やレーダーに対して細心の注意をしながら運転しているにも関わらず、瞬間的に無防備になっていた。

(4)不運:いつもは出掛ける前に道路公団のHPで渋滞状況を確認するのに、この日に限って、データが4:45amから更新されていなかった。

(4)は不可抗力、あるいは不運としても、(1)~(3)に関しては、自分がもっと慎重かつ丹念に準備しかつ走行していれば十分に回避し得た問題だ。これを自分の日常の行動パターンに当てはめると、同じような過ちを繰り返さないためにはいくつか反省すべき点がありそうだ。

結局、ゴルフ場に到着するまで、家を出てからなんと4時間半もかかった。こんなことは前代未聞である。5ホール目から追いついて合流したが、当然スコアはノーカウントだからもはや練習ラウンドのようなもの。気を取り直して、「練習に励もう」と割り切って臨んだが、やはりゲームに参加できないのでつまらなかった。

厄日には違いなかったが、この日の災難から自分のいくつかの弱点を分析し、今後もっと大事な件で似たような失敗をしないための学びの場だったのだ、という風に考えて自分を無理やり納得させることにした。やれやれ。。。

2006年8月4日金曜日

残暑お見舞い申し上げます

今年は涼しい夏かと思いきや、俄然、暑くなってきましたねぇ。知り合いがタイミング良く涼しげなペンギンの写真を送ってきてくれたので掲載します。アメリカや欧州は熱波に襲われているようですね。皆さん、健康に注意して暑い夏を乗り切りましょうね。

それにしてもこのペンギン、気持ち良さそうだなぁ。。。

2006年8月3日木曜日

いいかげんにしろ!

最近、プロスポーツの世界に「幼稚さ」や「甘さ」が目につくようになって来た。テレビ放送優先、商売優先のメディアや主催団体のスタンスがその風潮を助長しているのは間違いない。以前にここでも紹介したK1を見に行った時にも感じたのは、こちらが見に行ってるのは試合なのに、試合以外の派手な選手紹介や選手登場のパフォーマンスがやたらに長いことだ。もういいから早く試合を始めてくれ、という思いになる。

昨晩の亀田興毅の試合にはあまりにも限度を超えた茶番にがっかりした。すでに新聞紙面等で散々叩かれているのでここでは多くは述べないが、興毅選手本人の「若さ」以前の「幼さ」は見ていてむしろ痛々しさを感じるほどだ。演出された下品なパフォーマンスと試合前後の饒舌にもうんざりする。プロは余計な無駄口叩かず寡黙であれ、勝負にだけ集中しろ、と怒鳴りつけたくもなるが、問題なのはあのレベルの未熟な選手を金儲けの道具として祭り上げ、世界王座戦までさせてしまう、という周囲の大人達の品性のなさであろう。昨日の試合の判定はどうあれ、少なくともこのままでは彼のことを真の世界チャンピオンと認めるわけにはいかない。本当に才能があるのならば、当面メディアをシャットアウトし、大口を叩くのはやめて謙虚に出直し、次の初回防衛戦できっちりと納得の出来る決着をつけて欲しい。

亀田流と対照的なボクサーは西沢ヨシノリのような人だろう。何の派手さもパフォーマンスもない地味な努力型のボクサーだが、37歳定年制の特例選手として40歳になった今も現役ボクサーとしてリングに立ち続けている。

8月1日付、日経新聞のスポーツ欄の「スポートピア」というコラムで、脚本家の内館牧子さんが『勝ち越し露鵬に「?」』というタイトルで、一般人(カメラマン)に対する暴力沙汰を引き起こした露鵬についての処分が甘過ぎる、せめて勝ち越しが出来ないところまで出場停止にすべきであった、というテーマで持論を述べているが、その最後のくだりを引用させていただく。

「(前略)さらに私が理解に苦しんだのは、再出場の露鵬に、観客が「あたたかい拍手と声援」を送ったことだ。「罪を憎んで人を憎まず」にせよ、ブーイングを浴びせて、自分が犯した罪を厳粛に受け止めさせる必要があったのではないか。「あたたかい拍手と声援」のもと、千秋楽に姑息な変化相撲で恥ずかしげもなく勝ち越しを得た露鵬を、もしも「プロ根性」と讃(たた)えるなら、プロ根性とは何とも品性に欠けるものである。」

我々が見たいのは仕組まれた勝負や品性に欠ける試合などではない。高潔なプロ同士の本物の勝負が見たいのだ。やらせや茶番には決して甘い顔をしてはいけない。

2006年8月1日火曜日

すべては気の持ちよう

今日から8月だ。まさに光陰矢のごとし。

長い年月、ドッグイヤーの中で生きてきた。一分一秒を無駄にすることなかれ、と生き急いできた。常に時間に追われ、勝負に勝つために、いつも一刻を争う、先を急ぐ、というのが習性になっている。

4月からフリーな生活をするようになり、時間は十分にあるのに、習性とは恐ろしいもので、それでもまだ気が付くといつも先を急ごうとしている。今、自分にとって何よりも大切なことは、ペースを落としてスローダウンすることだ、とわかっているにも関わらず。。。

先日、こういう習性は意識的に気の持ちようを切り替えないと変わらない、と痛感した。車を運転している時のことだ。車を運転する時にも、気が付くといつも先を争っている。一分一秒でも早く目的地に着こうとしているのだ。だから、信号に引っかかったり、ちょっとした渋滞でも、自然にだんだん苛立ってくる。ふとした瞬間にその馬鹿馬鹿しさに気が付き、気持ちに余裕を持とう、と心掛けてみると、さっきまでのいらいらが嘘のように、ゆったりとした気分で優しい運転が出来た。

すべては気の持ちようである。幸せも苦難も同じことだ。周囲からは何一つ不自由のない恵まれた立場に見える人でも、その人の気の持ちようがネガティブであれば決して幸せとは言えない。同様に、どんな苦難でも、それを糧とするポジティブなマインドで臨めば、多くの幸せを呼び込むことが出来るのだ。