2006年8月3日木曜日

いいかげんにしろ!

最近、プロスポーツの世界に「幼稚さ」や「甘さ」が目につくようになって来た。テレビ放送優先、商売優先のメディアや主催団体のスタンスがその風潮を助長しているのは間違いない。以前にここでも紹介したK1を見に行った時にも感じたのは、こちらが見に行ってるのは試合なのに、試合以外の派手な選手紹介や選手登場のパフォーマンスがやたらに長いことだ。もういいから早く試合を始めてくれ、という思いになる。

昨晩の亀田興毅の試合にはあまりにも限度を超えた茶番にがっかりした。すでに新聞紙面等で散々叩かれているのでここでは多くは述べないが、興毅選手本人の「若さ」以前の「幼さ」は見ていてむしろ痛々しさを感じるほどだ。演出された下品なパフォーマンスと試合前後の饒舌にもうんざりする。プロは余計な無駄口叩かず寡黙であれ、勝負にだけ集中しろ、と怒鳴りつけたくもなるが、問題なのはあのレベルの未熟な選手を金儲けの道具として祭り上げ、世界王座戦までさせてしまう、という周囲の大人達の品性のなさであろう。昨日の試合の判定はどうあれ、少なくともこのままでは彼のことを真の世界チャンピオンと認めるわけにはいかない。本当に才能があるのならば、当面メディアをシャットアウトし、大口を叩くのはやめて謙虚に出直し、次の初回防衛戦できっちりと納得の出来る決着をつけて欲しい。

亀田流と対照的なボクサーは西沢ヨシノリのような人だろう。何の派手さもパフォーマンスもない地味な努力型のボクサーだが、37歳定年制の特例選手として40歳になった今も現役ボクサーとしてリングに立ち続けている。

8月1日付、日経新聞のスポーツ欄の「スポートピア」というコラムで、脚本家の内館牧子さんが『勝ち越し露鵬に「?」』というタイトルで、一般人(カメラマン)に対する暴力沙汰を引き起こした露鵬についての処分が甘過ぎる、せめて勝ち越しが出来ないところまで出場停止にすべきであった、というテーマで持論を述べているが、その最後のくだりを引用させていただく。

「(前略)さらに私が理解に苦しんだのは、再出場の露鵬に、観客が「あたたかい拍手と声援」を送ったことだ。「罪を憎んで人を憎まず」にせよ、ブーイングを浴びせて、自分が犯した罪を厳粛に受け止めさせる必要があったのではないか。「あたたかい拍手と声援」のもと、千秋楽に姑息な変化相撲で恥ずかしげもなく勝ち越しを得た露鵬を、もしも「プロ根性」と讃(たた)えるなら、プロ根性とは何とも品性に欠けるものである。」

我々が見たいのは仕組まれた勝負や品性に欠ける試合などではない。高潔なプロ同士の本物の勝負が見たいのだ。やらせや茶番には決して甘い顔をしてはいけない。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

こんな記事がありました。
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__2278708/detail?rd

MasterMind0710 さんのコメント...

Pさんへ、

記事の紹介ありがとうございます。共感するところ大です。。。