2006年8月9日水曜日

喧嘩の是非

以前にここでジダンの頭突きの件を書いた。賛否両論あったと思うが、先日、自宅の本棚を見回していて古い本であるが、江波戸哲夫さんの「辞めてよかった!」(日本経済新聞社)が何年かぶりに目にとまり開いてみた。1996年の初版本であるから、昔からいつか会社を辞めることは想定していたのだろう(笑)。

そこで見つけた以下のくだりが、「ジダンの頭突き」で述べたことにも通じるようで共感したので以下に書き写す。

「フリーであれ、サラリーマンであれ、まず自分をきちんと主張し、それでも納得いかない場面で喧嘩をするのは、とても大事なことだと思う。喧嘩をすれば短期的には損をするかもしれないし、間違いなく翌朝には苦い自己嫌悪に陥る。それでもなお喧嘩をすることは大事だ。喧嘩をしないまま我慢をすると、必ず自分の中の何かをすり減らす。それは自分を自分としてシャンと立たせている何かである。その何かを失っては、サラリーマンとして、あるいはフリーとしてシャンと立てず、つまりはいい仕事ができるはずがない。いや、いい人生を送ることができないとさえいえよう。喧嘩などしないでもシャンと立っている人も稀にはいる。私もそういう人に憧れるが、多くの場合、それはさんざん喧嘩をして、損な目にも遭い、自己嫌悪を何度も味わってから得られる境地だろう。(中略)『この喧嘩で、自分は何を守り、何を失うか』という二者の比較考量であろう。なんの計算もなく思う存分喧嘩をできるほど私は大物ではない。言い方を換えれば、その計算の幅がその人の幅なのだろう。サラリーマン時代にその幅をできるだけ拡げておくことが、企業という存在を相対化し、そこを飛び出す準備ともなるだろう。」

人間、譲ってはいけないところでは決して譲るべきでない、という主張には少なからず共感。その為には会社を辞める、という喧嘩を売らねばならないことだってある。

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