2006年5月27日土曜日

Google Blogger

このブログはGoogleのBloggerというツールで作っている。ブログ文化発祥の地であるアメリカでの評価が非常に高いし、何せ運営主体はGoogleだから、他のブログツールに比べて未来志向であろうと判断して使い始めたが、カレンダー機能とか、「続きを読む」や「トップに戻る」機能とか、RSSアイコンの表示とか、結構普通のブログサイトには標準でついている当たり前の機能がなかったりするし、まだまだ日本語環境下では使いにくい点も多い。また、私のサイトでも過去の書き込み(Previous)が記事によってはなぜかきちんと表示されなかったり、本体かテンプレートかわからないが、バグと思われるものも散見される。足りない機能は他のツールを併用したり、少しずつ良いものにして行こうと思っているので、不都合な部分を見つけたら是非教えて下さいね。

2006年5月25日木曜日

食わず嫌いの恥

誰でも読んでいるRobert Kiyosakiのベストセラー、「金持ち父さん」シリーズをずっと食わず嫌いしていた。きっと成り上がりが書いた成金志向の本だろうくらいに思っていた。

何事も偏見や食わず嫌いはいけない。

今年の初め位に、「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」を無理矢理貸してくれた人が居たのでしぶしぶ読み始めたら、これがとんでもなく素晴らしい本であるということにすぐ気が付いた。要は人の生き様についての著者の哲学や魂が込められたとてもまともで本質的な本なのである。その後、Robert Kiyosakiの主な本は一気に一通り読んだ。一度、飛行機の中で読んでいたら、翻訳版なので日本語であるにもかかわらず挿入チャートか何かでわかったらしく、隣席のイギリス人が、「これはいい本だよね」と話し掛けてきてしばし会話が盛り上がった。どの国の人にも通じる共通のテーマなのだ。

以来、私も常にクワドラントの右と左を意識して物を考え行動するようになった。会社を辞める、という決断にも潜在的には少なからず影響があったかもしれないと思う。辞めてからさらに彼が主張することが実感としてよくわかるようになった。これからはなるべくクワドラントの右側の人達との人脈を広げ深めて行くつもりだ。

年金での社会保険庁の不祥事が止まらない。あきれたものだ。税制も節税の手段をほとんど持たない普通のサラリーマンにはさらに搾取が厳しくなる方向で見直されて行くだろう。でも、そんなことに文句だけ言っていても何も始まらない。これからの世の中、ファイナンシャルインテリジェンスを鍛え、自分の身を自分で守る知恵を身につけてそれを地道に実践していくしかないし、そうでないと生き残れないのだ。

サラリーマンを辞めずともすでにそういうことを十分に理解して活動している人達はたくさんいる。ネットでたまたま見つけただけだが、かん吉さんという人のサイトも参考になりそうだ。

        
        

2006年5月24日水曜日

Abbey Road

親しくしている昔の同僚が長年の米国赴任から帰任し、先週再会した。現地での苦労も多かったと思うが、混乱を極める東京の本社から疎開するような形でしばらく海外に居たことは彼にとっては正解だったと思う。

語学も堪能で、現地の人達からの信望も厚く、もともと海外生活が似合う男でもある。オープンでストレート、何事も本質を突いた彼の意見はいつもとても参考になるし共感できる。総勢で4名の会であったが、気兼ねなく何でも話の出来るメンバーだったのでとても楽しかった。

六本木の隠れ家的な上品な店での一次会の後、もう一軒行こう、ということになり、だったらビートルズのコピーライブにでも行こうか、と提案してAbbey Roadに行った。六本木にはもう一軒、Cavern Clubがあるが、いずれもビートルズファンにはこたえられない。

私は所謂ビートルズ第2世代の年代だが、彼等の曲はすべて心の琴線に直接響く。一緒に行った仲間の中でビートルズの出身地であるリバプールを知っている人曰く、「労働者階級がほとんどというひなびた場所から、当時世界を目指したのは驚異的」だそうだ。確かに改めて地図で確認すると、とんでもない田舎の町だ。

今やメンバーも既に2人が他界してしまったとは何とも残念。ジョン・レノンが殺された第一報は、大学時代、運転する車で聞いていたFENの臨時ニュースだった。突然涙が溢れて止まらなかった。つい昨日のことのようにはっきりと覚えている。。。

それにしても、とっても穏やかで心地のいい夜だった。

2006年5月21日日曜日

ハローワーク その2

先週、再度地元のハローワークを訪れた。雇用保険説明会初回講習会というのに参加が義務付けられていた為だ。受給資格者証の交付を受けた後、30分ほどのビデオ教材を含む3時間超にも及ぶ講習を受けた。失業認定申告書の記入上の注意や4週に一度の認定日の変更に関する注意、不正受給に関する注意等が主な内容であった。今後、月2回以上の求職活動実績と、あらかじめ厳格に指定された認定日に来所して失業認定を受けること等のルール遵守を前提に雇用保険の給付を受けることが出来る。

前回と違って、朝から雨の降る蒸し暑い日で、講習会場にはびっしりとパイプ椅子が並べられ、溢れる程の人だった。まったく悪びれてない感じの若い人から、終始うつむきがちで自信のなさそうな初老の人まで、集まった人達の様子はさまざまだったが、世の中で失業していてかつ職を求めている人というのは随分大勢居るものだと実感した。知っている人は誰も居ないし、それぞれに事情や背景は異なるものの、これは一つのコミュニティであり、仲間であることには違いないと思った。

2006年5月16日火曜日

現在価値と将来価値

人はその瞬間瞬間を生きているわけだから、毎日、その瞬間を大切に生きることは人生の基本姿勢だけど、同時に人生の将来価値を日々生み出すような生き方をして行きたいと願う。

会社にたとえると、たとえ現在価値が大きくても日々将来価値を生み出すような企業活動を伴わない会社はいずれその企業価値を目減りさせて衰退して行く。一方で、設立したばかりで現在価値の小さな会社でも、将来価値が大きくなるような市場やトレンドに目をつけ、日々企業価値を生み出し高める活動を積極的に展開する会社は、たとえ最初は苦しい時期が続いても、いずれ大きな価値を還元する存在になり得る。

自分が現在価値を守る立場で仕事をしているのか、将来価値を生み出す立場で仕事をしているのか、という視点は、自分自身のその時々の立脚点を見定める上で、常に持っていたい視点だと思う。会社としては、日々の糧を得る、という観点では「現在価値を守る」為の行為も必要だが、常に成長する会社であり続けようと考えるのであれば「将来価値を生み出す」為の卓越したビジョンや勇気、その上での覚悟と計画に基づいた経営資源の継続投入が不可欠だ。

そのようなバランスを欠き、日々の糧を得る為の短期的な結果に一喜一憂しつつ、ひたすら現在価値を食い潰すだけの企業には未来はない。

2006年5月15日月曜日

It's a small world

もともと同じ会社に勤めていて、私よりも先に退社・転職した親友のH氏から、懇意にしている日系アメリカ人のI氏を紹介したい、と誘われ、H氏と、I氏と、彼の奥さんの4人で食事をした。H氏のことは是非また日をあらためて紹介したいと思うが、その晩に現れたI氏はとても気さくで明るく、ひどく乗りのいい人生を歩んでいる感じの人だった。

驚いたのは、食事の最中の会話の中で、私が若い時に、パートナーとして協力してプロジェクトを進めたアメリカの通信会社の当時の相方の名前がI氏の口から突然出てきたことだ。仮にE氏としておこう。会社は違っても、当時E氏とはすぐに打ち解けてお互いに腹を割って話せる仲となり、Virginia州の会社だったが、行く度に空港まで迎えに来てくれて、彼がドライブする車中でも、仕事以外のことも含めていろんな話をした思い出深い人だ。とってもいい仕事が出来た相手だったが、それ以来、音信不通になっていた。たまに、「どうしているだろうな?」と思い出すことがあっても連絡が取れなくなっていた。

I氏が先方に連絡してくれて、さっそくE氏からメールが届いた。懐かしかった。当時とはまったく別の会社で頑張っている様子だ。遠からずきっと再会する機会もあるだろう。まさに、世の中は広いようで狭いということの具体例の一つだ。

2006年5月14日日曜日

いい加減目覚めなさい!

3月初旬に退社を表明してから、勤めていた会社の内外のいろいろな皆さんに声を掛けていただき、ほぼ毎晩多彩なメンバーとの小宴が続いている。3月中にスケジュール出来なかったものは4月中にお願いして、5月連休中は肝臓の為にも少し休ませていただき、連休明けからはまた夜な夜なさまざまなお誘いへのお付き合いが続いている。

会社を辞めた側も、残る側も、皆が皆、人生を精一杯生きているのは間違いない。壮行会や激励会のようなものから、身の上相談会のようなもの、愚痴っぽいものから、明るい未来を語る会のようなものまで、多士済々の面々が開いてくださるそれらの会では励まされたりあらためて考え込まさせられたり。。。いずれにしろ、大勢の人達のお心遣いには心から感謝をしているし、会社を辞めたところで、本当に大切な人達との交流や絆はこれからも続いて行くはず、と信じている。

「女王の教室」という日テレのドラマで、天海祐希扮する主人公の阿久津真矢が「いい加減目覚めなさい!」という台詞を子供達に対してよく使っていたが、私は40代後半にして、幸か不幸か、ようやく「目覚めた」。ただ、ドラマと同じで、目覚める為にはさまざまなショック療法が必要だったのだと思う。会社を辞める決断に至るまでの最後の数年間は本当に散々な目に遭った。

「何かを得るためには何かを代償にしなければならない」「失うものがあれば必ず得るものもある」は人生の基本哲学。自分の人生において本当に大きな物を得るための真のチャレンジがまさに今始まったのだと感じている。どんな些細なことでも、日々の新しい発見や気付きを大切にしていきたいと願う。

2006年5月12日金曜日

Google AdSense

将来は家電の機能も、ネットのサービスも、「成長する知性」で我々のライフスタイルをサポートしてくれるようになる、と昔からずっと思ってきたけど、このブログでもやたら貼り付けたGoogleのAdSenseとか、Amazonのアフィリエイトの機能はそのコンセプトを具現化していて結構面白い。

AdSenseはコンテンツの中身を人手を解さずに全自動で解析しているそうだけど、今のところそのアルゴリズムはまだそれほど高度ではない感じだ。それでも、基本的には、ほんとに内容にあわせた広告がどんどん入れ替わって行くのは新鮮で面白い。

AdSenseの運用ルール上、自分でクリックするのは反則になるが、ほんとは、一番クリックしたいのはサイトのオーナーだと思う。自分にとって興味のある情報が次から次に提示されるのだから当然だ。ちょっとこの「自分ではクリックするな」というルール、不便だから緩めてくれないかなぁ?別にずるして小銭貯めようなんて思ってないからさぁ(笑)。

2006年5月10日水曜日

親友

先日、高校時代からの大親友と久し振りに会った。私が唐突に会社を辞めたことを心配して赤坂のしゃれた店を手配してくれていた。

彼も業際は全く異なるが日本を代表する一流大企業で頑張ってきた。同じようにいろいろと苦労もあったのだろうが、次期役員候補の一人として順調に出世の階段を登っている。昔から大柄でやけに貫禄のある奴ではあったが、しばらく会わないうちに大企業幹部としての風格がすっかり身についている。

友達はいいものだ。どんなに間が空いても、会った瞬間に青春時代の「お前」と「俺」に戻る。こちらの、同期筆頭での速いプロモーションと活躍を良く知っていただけに、今回の急な退社にはかなり面食らったようだ。

それでも、

「お前がじっくり考えて決めたことなんだろうから何も心配はしてないよ」

の一言。自分の表も裏もすべて知り尽くした親友からの一言は素直に心に沁みる。

お互いの近況報告や昔話に花を咲かせ、遅くまで大いに飲んで語った。ありがとう。これからも頼りにしてるぜ。まだまだ長い残りの人生、お互いに頑張ろう!

2006年5月7日日曜日

横須賀 三笠公園

5月連休とは言っても、今年は4月から会社を辞めた生活なので、特に遠出することもなく普段通りに過ごした。いい天気で爽やかな日が多かったが、3日の水曜日、快晴で風が気持ちよかったので、三崎にでも海を見に行ってマグロでも食べようかと思い、家族を誘い、渋滞が嫌だったので車は止めて電車で出掛けた。

道中、ふと思い立って横須賀で途中下車し、三笠公園に立ち寄った。神奈川に住んで長いものの、横須賀にはほとんど行ったことがなかった。そこに旧日本帝国海軍連合艦隊で、日清戦争時の黄海海戦や、日露戦争時の日本海海戦で活躍した当時の旗艦「三笠」が保存されているのを思い出し、ふらっと立ち寄ってみようか、という気になったからである。

京浜急行線、横須賀中央駅から歩いて15分程のところに、「三笠」を保存した小奇麗でこじんまりとした三笠公園があった。人出もそれほどではなく、入場料を払って明治の戦艦「三笠」をゆっくりと見学しながらまだそれほど遠くない日本の歴史に思いを馳せた。

東郷平八郎司令長官率いる当時の連合艦隊がロシアの無敵バルチック艦隊に圧倒的な勝利を収め、日本国の命運を救うきっかけとなった史実はあまりにも有名であるが、実際に戦艦の艦橋に立ってみると当時の緊迫感が蘇るような思いがあった。

「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」の号令とZ旗を掲げた「三笠」の艦橋での東郷司令長官の図は歴史の教科書等でもよく見るものだが、その当時の彼等にはまさに日本国民の誇りや武士道精神が力強く息づいていたことであろう。東郷長官が乗艦指揮する旗艦「三笠」は連合艦隊の先頭に立って敵の集中砲火を浴び、多数の戦死傷者を出しながらも、有名な奇策、敵前での急旋回によるT字戦法で劇的な完全勝利を収めた。ちなみに、後の日米開戦時の連合艦隊司令長官、山本五十六も、まだ若かりし日、乗艦していた船は違うが、この戦いで炸裂した砲弾の破片に直撃されて指を2本失う等の重傷を負っている。

後で東郷元帥のことを調べたら、彼は日本海海戦の前に、このブログの一番最初に触れた宗像大社を訪れて戦勝を祈願した、とあったので巡り合せに少し驚いたが、日本海海戦はまさに海上交通の神を祭るこの宗像の地、玄界灘沖合いで繰り広げられた戦いであったので、神のご加護もあったのであろうか。

奇しくもここ数日、在日米軍再編の問題に関する報道が続いているが、ほとんどアメリカの都合を優先した日米政府間の協議内容に関してはふがいなさを禁じえない。近代化に出遅れた極東の弱小島国に過ぎなかった当時の日本が、大国ロシアの圧力に一歩もひるむことなく、これを迎え撃ち撃破したことを思うと、その後の100年の間に、果たして日本は国家として進化したのか退化したのかわからない気持ちにすらなる。

快晴に誘われたほんの思い付きの外出であったが、思いがけず、しばしの歴史考察と感慨に耽る一日となった。

2006年5月6日土曜日

Birthday Book

新生活のスタートにあたり身の回りの整理などしていたら、いつ誰にいただいたのかは覚えていないが「Birthday Book」(同朋舎出版)という小さな本が出てきた。

自分の誕生日の日付版になっているので、誕生日プレゼントにでももらったものであろう。5分で読める程の小冊子なのだが、パラパラとめくっているうちについのめり込んでしまった。あまりにも自分のキャラクターを言い当てているからである(笑)。これって、365冊出ているのであろうか?うるう年生まれの人も入れると366冊?

誕生花、誕生石、星座占い、同じ日の生まれでどんな偉人、有名人がいるのか、どのような出来事が過去にあったか、、、などが整理されたたわいもないものなのだが、すっかり存在も忘れていた小冊子に人生を見透かされていたようで、ちょっと驚いてしまった(苦笑)。

そういえば、インドに行くと「アガスティアの葉」というのがあって、真偽の程は知らないが、自分の人生を正確に予言した古い葉(紙の代わりに使われていたらしい)があるという話が一時期流行ったが、おのれが何者で、どこから来てどこに行こうとしているのか、くらいは自分でしっかりと探し当てたいものだ。それがわからず生涯費やすのが人生の醍醐味なのかもしれないが。。。

2006年5月4日木曜日

さあ、5月だぁ

最近読んだ本の中で、以前にも触れた藤原正彦氏の「国家の品格」と梅田望夫氏の「ウェブ進化論」は秀逸であると思う。自分自身、長年の会社生活の中で、特に退社直前の数年に渡って「何かが違う、何かがおかしい、」ともやもやし続けてきたことに関して、胸のつかえが一気に降りたような気持ちにさせてくれた著作である。たまたまこれらがほぼ時を同じくして出版され、それらをシンクロさせて読むことが出来たことは個人的には幸運であったと感じる。

西欧流の競争原理や個人主義に過剰に毒され、武士道精神を失って「勝つためには手段を選ばず」的な志の低い企業行為の数々、時代感覚をなくして世の中のメガトレンドに疎く、プライドやビジョンや技術を軽視した保守的な体質、数々の実績を上げた功労者や自らリスクを取るチャレンジ魂を極端に粗末に扱い、しかもそれをなんとも思わない無神経な人々の横行、新しい企業価値を生み出すことに賭ける腹の据わった度胸と忍耐力の欠如、見苦しい嫉妬と足の引っ張り合いやモラルハザードが日常化した結果、内向きに消費される無駄なマイナスエネルギーの極大化、、、私が辞めた会社の辞める直前の状況は、まさに目を覆うばかりの惨憺たるものであったが、そういった惨状の根底に横たわる本質的な問題の数々を自分なりに整理する上で、両著には共感、賛同出来る多くの示唆がありとても役に立った。

当時の私にとって、選択肢は二つ。一つ目は、大企業としてのブランドは一流でも、肥大化して中身は三流化した会社に踏み止まって、再び一流企業として世の中にポジティブな影響を与え続ける会社としての復活に尽力する。二つ目は、見切りを付けて辞め、別の形で自分の価値観の正当性を証明する生き方をする。私は、まず一つ目の選択肢を選び、存分に闘って来たつもりだが、残念ながら、最終的には、「もう、これ以上はどうにもならない」という限界点を超えた、と判断し、二つ目の選択肢である「思い切って辞める」という行動を取った。

藤原氏は言う。「真のエリートには二つの条件があります。(中略)そうした教養を背景として、庶民とは比較にもならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。これが第一条件です。第二条件は、「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。この真のエリートが、いま日本からいなくなってしまいました」「はっきり言えば、一万人の殺人犯がいても、先進国家は何ともない。しかし、一万人の真のエリートがいなかったら潰れます」。藤原氏の国家論は企業論にもそのまま当てはまると思う。

梅田氏は言う。「日本の大企業経営者、官僚、マスメディア幹部。いわゆるエスタブリッシュメント層の中枢に坐る、私よりも年上の人たちの大半が、組織を辞めたという個人的経験を全く持たないのである。そのことが日本の将来デザインに大きな歪みをもたらしてはいないか」、「これから日本は、大組織中心の高度成長型モデルではない新しい社会構造に変化していき、私たち一人一人は、過去とは全く違う「個と組織との関係」を模索しなければならない。そういうことを感知するセンスのいい若い人たちに、「組織を一度も辞めたことのない」エスタブリッシュメント層の言葉は、むなしく響くばかりなのではないだろうか」。

藤原氏の言に心を強くし、梅田氏の言に心を励まされて、自分にとっての新しい生き方の模索が始まっている。