2008年5月2日金曜日

Penguin Club 2 開設のお知らせ

以下にPenguin Club 2を新たにスタート致しました。

http://penguin-club2.blogspot.com/

よろしくお願い致します。

2007年2月19日月曜日

号外:東京マラソン2007

久々でーす!!

昨年の10月にこのブログを終了してから、Bloggerのシステム移行もあったようですね。また、連絡先用のメールアドレスが使えなくなったりしたため、その後にコメント欄でご連絡いただいた方には失礼になってしまったようです。ごめんなさい。

さて、数ヶ月ぶりにこのブログに投稿しようと思ったのですが、それは、 「東京マラソン2007」に参加してフルマラソンデビューをしたからなのです!

もともと、マラソンに特別の関心があったわけでもなかったのですが、ある友人が、「日本で初めての本格的な市民参加型のマラソンで、東京の名所を走れるし、そういう第一回目への参加、ということで生涯の記念になるから一緒に走ろうよ」と誘ってくれたのがきっかけです。誘われるままにエントリーだけしておいたら、抽選に当たってしまいました。このマラソンは3万人のランナー募集に対して、10万人の応募があったそうですからラッキーだったわけですね。誘ってくれた友人は落選してしまいました。

これはもう、彼の分も含めて走るしかないな、との思いで、昨年12月くらいから少しずつ走る訓練を始めました。

2月18日の当日は、あいにく冷たい雨が降り頻る厳しいコンディションでしたが、さすがに東京をあげての一大イベントで、3万人が都内を走る光景は圧巻でした。3万人のスタートですから、私達のブロックがスタート地点に到達したのは16分程掛かりましたが、そこからゴールまでの42.195キロを何とか4時間台で完走出来ました!最後はもう気力のみでした。。。

1万人を超えるボランティアの皆さんや5千人を超える警察官の皆さんのご努力や、スポンサー各社の力があってこのようなイベントが開催できたわけですが、何より、こういうことをやろうと発想して実行した東京都の行動力に敬意を表したいと思いました。いろいろと感動することがありましたが、テクノロジーも上手く生かされていて、ランナーは皆靴にセンサーを装着して走るのですが、それによって、5キロごとのラップや通過時間がリアルタイムでPCや携帯で確認が出来るようにもなっていましたので、応援する人にとっても、目当てのランナーの居所がその都度確認出来るように配慮されていました。また、中継局のフジテレビのサイトで、すべてのランナーのゴールシーンがストリーミング映像で確認出来るようにもなっています。有森裕子選手がラストランをされたのも、イベントに華を添えていました。途中で転倒されたようですが、ゴールシーンは観客の感動を呼んだようです。

もう一度走れ、と言われたら、今はもういい、という思いですが、しばらくしたらまた走りたくなるかもしれません。天気は悪かったですが、普段、決して走ることの出来ない東京のど真ん中を走り抜けるのは苦しくも爽快でした。

誘ってくれた友人のお陰で、生涯の思い出に残るいい経験をすることが出来ました。感謝の気持ちで一杯です。

そのうちまた再開する、といいながらなかなか再開しないこのブログですが(笑)、近いうちにまた始めようと思います。

ではまた。。。号外でした。

2006年10月29日日曜日

フェアウェル

10月も終わりを迎えた。長く勤めた会社を辞め、新たな人生の模索を始めてから既に半年以上の月日が流れた。9月にそろそろこのブログの役割も終わりに近づいた、と感じたが、いよいよこの投稿をラストメッセージにしようと思う。

最後に素晴らしい本との出会いについて触れておきたい。

イマキュレー・イリバギザ著、「生かされて。」(PHP研究所)

10年程前のルワンダでの大量虐殺の中で、愛する家族や友人達を皆殺しにされながらも奇跡的に生き延びた著者による壮絶な物語である。原著も邦訳版もまだ出版されたばかりの新刊であるが、海外駐在している前の会社での同期入社の親友がいち早く読み終えてプレゼントしてくれた。彼には、このような素晴らしい本との出会いをタイミングよく演出してくれて感謝の言葉もない。

たった一言でも勝手な感想を述べること自体、この本の崇高なメッセージを汚すように思われて憚られるのだが、これほどまでの過酷な運命を強いられながらも、その運命から逃げ出すことなく、信仰の力を借りて数々の奇跡を呼び寄せながら乗り越えていく著者の強さには、ただただ圧倒されると同時に、その生き方に強く魂を揺さぶられずにはおれない。

私自身、この半年あまりの間に人間の弱さと強さに向き合い、生きることの本質的な意味ということを自分なりに模索してきたが、この著作は、まさに何の救いもないような絶望的な環境の中にあっても、ひとりのか弱い人間が究極の強さを発揮し得る、ということを垣間見せてくれた。「信仰」と「許し」と「慈悲」の本でもある。

今の世の中は「憎しみ」で満ち満ちている。テレビをつければ、いじめや殺人の話題で連日溢れ返っている。街に出れば、先を急ぐ人達で通りや電車の中はいつも殺気立っている。会社の中では足の引っ張り合い、嫉妬、ねたみ、権力闘争、リストラ、、、暗くおどろおどろしい怨念がいたる所で渦巻いている。ネットの中も、匿名性を隠れ蓑にした卑劣な誹謗中傷や個人攻撃が野放し状態。5年前のアメリカの9・11同時多発テロにしても、その後のアフガニスタンやイラクへのアメリカの「復讐」は事態を悪化させこそすれ、決して好転させてはいない。こういう負の連鎖を我々はどこかで本当に断ち切らないことには会社の繁栄もなければ世の中の平和もなく、個人の幸せもない。自分を裏切ったり、陥れたり、辱めたり、傷つけたり、追い込んだりした嫌な相手を「許す」という行為は簡単ではない。それどころか常人には到底不可能にしか思えない。しかしながら、最愛の肉親や友人達を殺戮した当事者でさえも、究極の苦悶と葛藤の挙句、心から許すことの出来る境地に達し、「憎しみの連鎖」を断ち切って幸福を手に入れたイマキュレーのような人物もいる、という事実は我々に新鮮な勇気を与えてくれる。

このブログの最初の投稿で「宗像大社」のことを書いたが、先日、彼の地を再び訪れた。また、前後して「出雲」の地も訪れる機会があった。いつか「内観ということ」の中でも少し触れたし、屋久島の縄文杉の前でも実感したことだが、宗像、出雲、屋久島のような神話の世界やパワースポットを巡って強く感じることは、やはり我々の存在は何らかの「神秘の力」に支えられている、ということである。生きて行くにあたってはいかなる奢りや勘違いも禁物であると思う。まさに、「生かされている」という謙虚な心境を忘れずに自分の運命を引き続き楽しんで行きたいと思う。

最後に、あらためて本ブログの読者の皆さん、またコメントやメールを通じて激励してくださったすべての皆さんに心から感謝の気持ちを捧げたいと思います。ありがとうございました。なお、このブログへの新たな投稿はこれを以って完了とさせていただきますが、このまま閉鎖することはせずに公開を続けさせていただきます。そして、また皆さんにあらためてお目に掛かる準備が整った時にはここにその旨アナウンスをさせていただきますのでこれからも時々チェックしていただれば幸いです。

短い間ではありましたがありがとうございました。


2006年10月10日火曜日

神の島 六景

屋久島の写真を数枚追加します。


  世界遺産登録地域                             もののけの里


  山の神への石段                                 谷川


  大きな岩がゴロゴロ                            海岸線も綺麗

2006年10月9日月曜日

追伸その2 神の島

ふたたびご無沙汰しております。

先週、初めて屋久島に行って参りました。この島は、所謂パワースポットというか、とても不思議で神秘的な気が満ち溢れた場所だと言われますが、実際にそう思いました。

圧巻はやはり縄文杉でした。簡単に行ける場所ではありませんが、山中一泊の無理の無い行程で行ったので、道中ゆっくりと屋久島の自然を味わいながら登りました。荒川登山口から、6時間程で最終目的地の縄文杉に到着しました。うっすらともやがかかる中の縄文杉の存在感に圧倒されました。一説では樹齢7200年とも言われているそうですが、人間の寿命から考えれば、想定すら困難な時間の長さですね。

近くで山中野営の準備を整え、夕食を取った後に夜の縄文杉を再び訪れましたが、懐中電灯を消して漆黒の闇の中にうっすらと浮かび上がる巨木と向き合うと、まさに神と対座しているような不思議な気分になりました。多くの自然霊がこの巨木に宿り浄化して静寂の中にも大きなパワーを発信しているようにも思えました。

夜半から激しい雨が降り出し、翌日は雨の中の下山となりましたが、不思議とまったく疲れを感じないというか、むしろ体全体にエネルギーが満ち溢れたような感覚で一泊登山を終えました。

人生の転換期にあたり、どうしても行っておきたい場所だったので、今回思い切って訪れて本当に良かったと思いました。

2006年9月27日水曜日

追伸

お久し振りです。

先日の投稿に対して何人かの皆様からとても暖かいメッセージをいただきました。一部、実名や本名が掲載されていたのでここでの公開は控えさせていただいたものもありますが、メールでのコメントも含めて、メッセージを頂戴したすべての皆様にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。

先週は、5月末に引き続き、再びシリコンバレーに行っておりました。私はずっと国内に居ると息が詰まってしまう体質なので、久々のカリフォルニアの新鮮な空気は体にも脳細胞にもとても良かったです。やはり彼(か)の地には不思議なエネルギーが満ち溢れています。世界中から、優秀な頭脳が夢を求めて自発的に集まり、不屈のチャレンジを続けていることによる「気」のエネルギーとでもいうものを強く感じます。会う人、会う人、皆とても生き生きと自分の仕事に誇りと自信を持ち、人生を謳歌している気がします。きっとこの地域に集まってくる人達は人一倍向上心が強く、「より良い生き方」を求めることに対して貪欲なのだ、というふうにも思います。

今、いろいろなしがらみで一歩を踏み出せずに悶々としている方々に勧めたいのは、やはりまずは旅行や出張などのテンポラリでも構わないから環境を変えてみる、ということです。自分が身を置いている組織や集団の正義や論理、ルールが世の中のすべてではないからです。そうすると、自分が日常的に晒されている価値観とは全く異質の発想やロジックに触れることが出来て、新たな自信に繋がったり、行動の勇気も沸いて来ます。

先日の投稿、「勇気ある問い掛け」を読まれた方から、素晴らしいメッセージを頂戴しました。以下、引用させていただきます。

「(前略)どの史実も決して単純に白黒分けられるものではなく、立場によって見方も違ってきます。ただ共通点として、世論というか大衆の思いが、なにかのきっかけで大きくうねって流れ出してしまうと、ちょっとやそっとじゃ止められなくなる…ということを強く感じます。 そういう瞬間の積み重ねが、うねりとなって大きく歴史を変えていく現実を恐ろしく思いました。 そう考えると、私も一人前の社会人として今の日本という社会で起こっていることを正しく認識する義務を負っていることを痛感します。世論はなにに向かっているのか。正論はどこにあるのか。世論のおかしな部分を修正する努力をしているのは誰なのか。それに自分が協力できることは何なのか。 みんなが言うからと流れに身を任すのではなく、自分はどう考えるのか、きちんと向き合おうとする意識を持つことが何より大切だということ…。(後略)」

以前に「人間は弱い」、と書きましたが、人はとても流されやすい存在です。よほど意識してしっかりしていないと、きちんと自分自身の目や耳で確かめたり頭で考えることも無く、単純に周囲の声の大きな意見や、圧力や、無責任な風評や、第三者やメディアの論評に影響されて、知らず知らず自身の発想や行動を支配されていってしまうのです。

「より良い生き方」に対して妥協しない貪欲な態度、というのは、後悔の無い人生、そして結果的に幸せな人生を全うするために、私は非常に重要なことだと思います。その為には、常に自分自身の視点を保ち、自分自身の頭で考え、自分自身の心で感じる力を萎えさせない努力を怠ってはならないと思います。「流されるもまたよし、それもまた人生」という禅坊主のような達観もあるかもしれませんが、少なくとも今の私は、まだまだ、「流されない人生」「妥協しない生き方」にあくまでもこだわっていきたいと感じております。

2006年9月17日日曜日

感謝の気持ちを込めて

自分自身も含めて「人間とは弱い存在である」という一片の真理を実感として理解出来るようになってきたことがここ数ヶ月間の一番の収穫であるかもしれない。

これは、今現在、どんなに権勢を誇り、勢いがあるように見える人であってもあまねく「弱い」という点においては共通である。順風満帆な時にはそんなことには気付かない。

ここを真に理解出来るかどうかがその人間の生涯の「器」や本当の意味での「強さ」を決めるのではないかという気がする。

さて、4月から綴ってきたこのブログであるが、今月末を以って終息させることにしようと考えている。実は、今月中に新たな法人の設立を二件行うことにしている。一つは私の個人事務所を設立して法人として登記、もう一つは仲間達と一緒に新会社の設立に関わる。どちらも、荒天の中へのヨチヨチ歩きがどこまで上手く行くか何の保証もないものだが、自分自身の再スタートの一環として真剣に取り組んで行く。

失業日記、浪人日記としてこのブログを開設し、自分の気持ちを整理する意味でいろいろなことを勝手に語らせていただいて来たが、そういう意味ではこのブログの役割も終わりに近づいたと感じる。読者の皆さんには大いに励まされて来た。心から感謝している。再出発後はまた別の形でメッセージ発信を再開するつもりなので、いずれ、そこでの皆さんとの再会を楽しみにしている。

なお、今月中はまだ投稿を続けるつもりなのでこれが最後の投稿ではない。あるいは途中で気が変わって今しばらくこのブログを続けることにするかもしれない。いずれにしても、まだ、to be continued.

2006年9月13日水曜日

勇気ある問い掛け

9.11米国同時多発テロから5年目を迎えた報道特集番組か何かで、ABCのアンカーマン、ピーター・ジェニングス氏のことに言及している部分をたまたま見た。もともとカナダ国籍であった彼は、ジャーナリストとしての公平でニュートラルな立ち位置が評価されて長年に渡り広く人気を博したキャスターだったが、テロ発生時に、「なぜ米国はかくも恨まれるのか?」という問いを発したことによって、当時、極端に保守化し愛国化していた米国民から激しいバッシングを受ける羽目となった。特派員として中東に派遣されていた経歴を持つことにより、「中東寄り」「アラブ贔屓」とも非難された。ABCの視聴率は落ち、その頃から止めていたタバコをまた手放せなくなったという。結局、その後肺癌を患って昨年の8月に67歳で他界している。物静かで落ち着いた語り口の中にもアメリカの良識を代表するジャーナリストとしての信念と尊厳と温もりを感じさせる人物であった。

我が国では政治家の靖国神社参拝を巡る感情的な議論が、外国からの内政干渉も含めて長いこと続いているが、この問題に早急に決着をつけることは国家の責任であり、こういう問題に自ら決着を付けられない限り、日本は真の意味での一流独立国家とは言えないのではないかと感じている。北方領土問題しかりである。戦後、「国を憂える」とか「愛国心」などと言うと、それだけでアレルギー反応を示され、眉をひそめて「帝国主義者」とか「右翼」というレッテルを貼られる風潮が残っているが、根底には前述したピーター・ジェニングス氏への米国民のバッシングと共通する国民心理が働いているのではないだろうか?前者は攻撃の被害者としての感情論、後者は攻撃の加害者を意識するが故の感情論である。

靖国問題の論点は、太平洋戦争が侵略戦争であったのかどうか、という点と、A級戦犯の合祀、という点に集約されると思うが、先日、ある先輩と議論をした時に、その方は、「太平洋戦争が侵略戦争であった、という解釈は実は間違いであり、あれはそもそも自衛戦争であった」と主張しておられた。その裏付けとして彼が信じている根拠と論旨を丁寧に説明していただいたが、それなりの説得力があった。その主張の是非はともかくとしても、我々は常日頃、自分自身の歴史解釈というものに一体どれほどの確信と自信を持っているものなのであろうか?教科書で学び、新聞で得た知識をもとにした表面的な理解、自分勝手な解釈の範囲に留まっているとすれば、それはそれで危険なことである。国民が歴史を正しく解釈することがその国の発展に深く関わり「国家の品格」を高める原点となるからだ。特に、戦後の日本では、敗戦のショックと占領軍政策により、どこまで正しい歴史検証が貫かれ語り継がれてきたのかについては、必ずしも確信を持てない。

アメリカが正義の戦いと主張し、圧倒的な国民の支持のもとに実行したイラク戦争の根拠とされた大量破壊兵器は結局見つからなかった。その後アフガニスタンもイラクも泥沼化する一方で、テロの悲劇と恐怖は世界中に拡散している。今こそ、米国民はピーター・ジェニングス氏の内なる問いを真剣に受け止め直すべきであるし、日本国民も歴史考察の精度を高めて、戦後60年の先送り課題、積み残し課題への全面決着を目指し、真の独立国家としての誇りと活力を取り戻すべき時期に来ている。新しい首相の誕生がそのきっかけとなることを期待している。

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ピーター・ジェニングスを検索していたら下記のブログ記事を見つけたのでリンクさせていただく。
「ピーター・ジェニングスの死」、見物人の論理(念仏の鉄)

2006年9月10日日曜日

ほっとけない

最近、とんでもない事件が後を絶たない。子が親を殺す、親が子を虐待して死なす、友達に頼んで親を殺す、学校で友達を殺して自分も自殺する、いい加減な設計と施工で欠陥マンションを量産し販売する、公務員が酒酔い運転で何の落ち度も無い人達を殺す、岐阜県職員が裏金の発覚を恐れて現金を廃棄焼却する、社会保険庁が年金で出鱈目をする、自衛隊が民家に向けて実弾を誤射する、、、最近の話だけでも、挙げ始めるときりがない。こんなことが続くと本当にこの国は滅びてしまうのではないかと思う。

ホリエモンの事件も、検察との全面対決とのことで、スーツを新調し大手を振って法廷に向かうホリエモンの姿がテレビに映し出され、「悪意に満ちた罪状で起訴された自分は何の罪も犯していない」、といけしゃぁしゃぁと主張する。

横浜の名門私立高校の通学路で無謀な危険運転をして将来ある高校生の列に突っ込み、多数を死傷させた被告が事故直後に救済行動も取らずその後の反省も無いまま無実を主張する。

酒を飲んで運転し、停車している車に追突して水中に落下させ、幼子(おさなご)を3人も殺した加害者がそのまま逃げて慌てて水を大量に飲み、飲酒をごまかそうとする。

みんながみんな、自分のことしか考えていない。自分のエゴで迷惑を掛けてしまった人達に謝罪すらもしない。失敗や過ちを認知する謙虚さのかけらも無い。自分が死なせたり、怪我をさせてしまった人を救助しようとする人間としての最低限の良識すらも持ち合わせていない。

日本は一体何でこんな国になってしまったのか?そしてここまで乱れた国を少しでも良くするためには我々に何ができるのか?

信じられないような事件が報道されるたびに、自問自答する日々が続く。少なくとも、このような世相になってしまった根底に何があるのか、ということに関して我々は無関心でいてはならない、と思う。

2006年9月8日金曜日

オフ会

今日は、所属しているあるSNSで最近結成したコミュニティの2度目のオフ会を行った。基本的に知り合って間もない少人数のメンバーだが、皆、知的かつ個性的でとても面白い人達だ。好奇心と探究心に溢れ、会社や現在の仕事だけに依存せずに、それ以外の自分の世界をたくさん持っていて幅広く勉強も続けている。実践にも積極的だ。皆、自分よりはるかに若いのに素晴らしいと思う。普段、SNSの中でコミュニティのテーマに沿ったコミュニケーションをしているので、オフ会で久々に会っても、普段のオンラインでの会話の延長線上で話も弾む。本当に楽しく面白い時代になったものだ。

一方、昨日はまったく毛色の違う集まりに参加した。こちらも少人数だが、自分よりも年配の人達、50代、60代の人達の集まりで自分が最年少。皆さん、憂国の士であり、一緒に進めようとしているある計画について、全員で青年のように目を輝かせて議論した。いくつになっても夢やチャレンジ魂を失わない男達は見掛けも実年齢よりはるかに若く見える。

どちらも会社を辞めなかったら決して出会うことの無かった集いだと思う。あらためて貴重なめぐり合わせに感謝。

2006年9月2日土曜日

天国のバカンス

松任谷由実の歌でサーフ天国とかスキー天国って歌があったけど、天気のいい日に大自然を相手にするスポーツは最高だと思う。波乗りもスキーも長いことやってないけど、見ているだけで若かりし日々の思い出がたくさん蘇るし、これからもまだなんでもやれるような気になってくる(笑)。写真は泊まったコンドミニアムのテラスから撮ったワイキキビーチでサーフィンをする人達。毎朝、早朝からサーファーがたくさん出ている。



海沿いでホノルルからカイルアに行く途中にあるハナウマベイに初めて行ったのはやはり初めてハワイに来た時だった。当時はびっくりするくらいたくさんの魚がおよぐ綺麗な浜だった。その後、観光客が激増して浜や海が荒れて汚れてしまい、魚もいなくなって一時閉鎖されたと聞いている。その後、環境保全に注意しつつ再開しているが、魚の数は昔ほどではなくなってしまった。しかし湾の景色は相変わらず美しい。



やしの木の葉が風でそよぐ音は実に南国らしく、のんびりとした気分に浸れる。ハンモックでもつるしてトロピカルドリンクを飲みながら日がな本でも読んでいられたら最高に至福の時間。今回も読みきれないくらいの本を持って行ってしまった。

写真はハナウマベイのビーチに寝転がって撮ったやしの木。

2006年9月1日金曜日

天国の海

ハワイに初めて行ったのは21歳の時だった。お金が無いので、海も見えないホノルルの街中の安ホテルに泊まった。当時は波乗りにはまっていたので、日本でも湘南海岸や千葉、茨城の海によく出掛けていて、日本の海も捨てたものではない、と思っていたのだが、それでも初めて見るハワイの海の美しさには圧倒されて言葉もなかった。それ以来、すっかり虜となり、結婚して家族が出来た後も繰り返し訪れるようになったが、ここしばらく、仕事や家庭の都合でまともな夏休みも取れず、どこにも行くことが出来なかったので、今回は3年ぶりの訪問となった。


長いこと、オアフ島はパスして離島で過ごすことが続いたので、今回は久々にワイキキの喧騒等も懐かしくなり、「オアフ島再発見」をテーマに全日程をオアフ島で過ごすことに決めて出掛けた。前半を閑静なカハラのホテル、後半を賑やかなワイキキビーチ沿いのコンドミニアムに泊まった。

実は、個人的には今回のハワイ訪問には特別な思いを込めていた。会社生活で多忙を極める日々が続く中での唯一の「オフ」の象徴がハワイでのバケーションだったが、行くたびに疲れ果てた心と体が蘇るように癒されてきた。今回は4月以降、長年の会社生活を一旦リセットし、新しい生き方を模索し続ける中で、やはりまとまった時間、日常を遠く離れて頭と心を深呼吸させる必要性を感じていた。その為の訪問先としてハワイは最適に思えていたからだ。

ところで、ハワイを訪れるときに原則として必ず最初に訪問する場所がある。パールハーバーだ。今回もホノルルに到着してからレンタカーで最初に向かったのはホテルとは反対方向のパールハーバー。ここから始まった太平洋戦争は多くの犠牲と悲劇を生み、現在の日本の繁栄はそういう過去の歴史の延長線上にあることを決して忘れてはならない。子供達にもあらためて言って聞かせる。

今はのどかな観光地ともなっているこの軍港の一角で、しばし当時の歴史に思いを馳せ、祈りを捧げてからハワイでのバケーションをスタートさせる。

写真は、カイルアの奥にあるラニカイビーチからの景色。天国の海、という意味だそうだ。

2006年8月31日木曜日

「会社幕藩体制からはプロ経営者は出ない」

遅めの夏休みでしばらく家族を連れて旅行に出掛けおり、昨日帰って来ました。

旅行中に、前回の投稿に対してKaさんからご意見、ご質問をいただき、コメント欄で取り急ぎのお返事を差し上げましたが、時を同じくして以下の記事を教えて下さった方がいるのでご紹介します。産業再生機構の冨山和彦さんのインタビュー記事です。

「会社幕藩体制からプロ経営者は出ない」(NBonline)

ここにもKaさんのご質問へのお答えの一端が代弁されていると考えますので、引用させていただきますね。私としては非常に同調出来るご意見と感じました。

2006年8月21日月曜日

続・脱藩のすすめ

母や先祖の法要を無事に済ませて参りました。

以前に「脱藩のすすめ」というテーマで投稿しましたが、写真で載せた坂本龍馬について少し補足したくなりました。Mixiで参加しているあるコミュニティ内でのやり取りがきっかけです。

私の龍馬に関する知識はもっぱら司馬遼太郎の「竜馬がゆく(原題通り)」が中心になっていますが、彼の素晴らしさはやはり抜きん出た時代感覚の持ち主であったことだと思います。政治家でも経営者でも、この時代感覚が鋭くないと決して一流にはなれないと思います。未来が見えていて、そこから自分の今の行動を決める、というところですね。世の大半の人は、今現在しか見えていなくて、発想も行動もそこからの積み上げになりがちだと思いますが、結果から逆算する演繹的な発想と行動が出来る人はやはり一味違う生き方が出来ると思います。この辺の考えについては、これも以前の投稿、「日経新聞広告から」にも引用の形で載せました。

龍馬は革命家としてだけではなく商人としての才覚にも秀でていたのだと思います。亀山社中、後の海援隊は、龍馬が作った私設軍隊兼日本初の株式会社にあたるのだと思いますが、このような形で浪士を集めて財源と軍事力を組織化した発想と行動力は実にみごとだと思います。だからこそ、薩摩も長州も彼の言うことを聞かざるを得なかったのでしょう。どんなに正しいことを主張しても、口先だけだったら相手にされませんよね。だから、脱藩とは言え、ただ脱藩するだけでは駄目なのです。このような先見性と知力と行動力があったからこそ、浪士が結集して時代を変える求心力を創り上げることができたのでしょうね。

2006年8月19日土曜日

八月葉月

毎年8月には6日と9日の原爆記念日やお盆があって、15日が終戦記念日。その一週間後の22日は実母の祥月命日だ。人の生と死について考えたり思い出したりする機会の多い月だ。明朝は墓参と法要を行う予定。

母は私が30代半ばの頃、66歳でこの世を去った。我慢強く、周囲に対する気配りの行き届いた人で、自分の事はいつも一番後回しだった。厳父慈母の言葉通り、何事も自分中心で子供達に対しても人一倍厳しかった父に対して、母はいつも優しかった。風邪を引いて高熱を出したとき、長い距離をおぶって町の病院に連れて行ってくれたこともある。自家用車などない時代の田舎暮らしで、交通の便も悪かった。母の背中でバナナを食べたことを思い出す。

その優しかった母に一度だけ激しくしかられ体罰を食らったことがある。まだ3歳か4歳の幼い頃、母が買い物の最中に、店の前で一人で遊んでいて、近くにいた見ず知らずの幼児に暴力を振るった時だ。通りすがりの人が見咎めて、店から出てくる母を待ち構え、私の理不尽な行為を通報した。その行為を、弱い者いじめ、と感じた母は、無言で私の手を強く掴んだまま家に連れて帰り、そのまま平手で何度も尻をぶった。一切の手加減を加えることなく、幼い息子の尻を延々と叩き続け、卑怯な行為を決して許さなかった。

最期には病気と何年も闘い苦しんだが、弱音を漏らすことはほとんどなかった。亡くなる直前まで希望を捨てずに前向きに病気と闘い、生きようと努力を続けた。そして、どんな状態に置かれても、常に周囲の人達への感謝や心配りを忘れることはなかった。

もう亡くなってから長い月日が過ぎ去ったが、未だに耳の奥底には母が元気だった頃の話し声や笑い声がよみがえる。

「孝行のしたい時には親は無し」。結局、生前には十分に母の恩に報いることは出来なかった。心配と苦労ばかり掛けた気がする。せめて毎年の命日には十分な供養を心掛けるようにしたい。

2006年8月13日日曜日

予期せぬトラブル

前回の投稿含め、このブログでも繰り返し触れている通り、Web2.0と呼ばれるインフラの整備や環境変化が我々にもたらす恩恵には底知れないものがあるが、そこと出入りする為の個人の道具は、日本では携帯が伸びているものの、やはり依然としてPCが中心になっている。ということは、つまるところ、やはりWindowsそして、IE(Internet Explorer)に依存している人が大半だと思う。これだけのデファクトを一代で築き上げたBill Gatesはやはり凄い。継続は力なりの典型だ。Googleの隆盛だって、言って見ればこのような先代が作り上げたデファクトの存在なしにはありえない。

一方、既に日常生活のインフラとしてライフラインに次ぐ存在となったインターネットへのアクセスが突然トラブルに見舞われるとこれは本当に困り果ててしまう。実は今週末、何かの拍子に普段メインに使っているPCのブラウザ(IE)が突然トラぶり、特定のサイトのブラウジングが極端に重くなってまったく使い物にならなくなってしまった。別のPCからアクセスするとなんら問題はないので、それらの特定のサイト側に原因があるわけではない。きっかけはわからないが、おそらく手元のPCのセキュリティ関係の設定が書き換わったか壊れてしまった為であろうとめぼしをつけ、原因究明を始めたものの、どういうわけだか設定を元通りに戻してもトラブルが解消されず、結局土曜日を丸々潰す羽目になってしまった(涙)。もともと、ネット証券の口座にオンラインバンクから直接入金できるようにセキュリティ設定をマニュアルで設定し直したりしているので、今回のトラブルを解消するための作業が他の操作に悪影響を与えないように注意しなければならない。ようやくActiveXコントロールのセキュリティレベルの設定が原因になっているということを突き止めるまで、システムの復元含めて、考え得るありとあらゆる調査を行い、本当に疲れ果ててしまった。見つけてみればなんてことはないのかもしれないし、手馴れている人だったらもっと要領もいいのかもしれないが、普段順調に行っていることが突然トラブルに見舞われた場合のリスクやコストについて大いに考えさせられた。

最近では、ブラウザの機能を補助したり拡張するアドオンと呼ばれるサードパーティのプログラムがやたらと出回って自分でも無意識にインストールしてしまったり、あるいは、Winnyによる個人情報や機密情報の漏洩問題とか、やれフィッシングだ何だと、ネットを横行する悪事も後を絶たないため、ファイアウォールやアンチウィルス等のセキュリティ関連ソフトが高度化しており、その条件設定や、ブラウザのセキュリティ設定が非常に複雑多岐になっている。

皮肉なことに、トラブルシューティングの作業でも検索エンジンとオンラインサポートが不可欠なのだが、各種オンラインサポートのサイトも一頃に比べれば格段に充実し親切な内容になっている。とはいうものの、肝心なところでの記述があいまいだったり、わかりにくかったり、抜けていたりするケースも散見され、自己診断や自己修復の技術等も今後は更に進歩が望まれるところだろう。

いずれにしても、コールセンターがオープンする月曜まで待たずに、発生したトラブルをその日のうちに自力で解決できたのだから、まあ、いいことにしようか。ただ、予備のブラウザとか、環境設定のバックアップとか、喉もと過ぎれば、にならないよう、今回のことを教訓としておきたいと思う。

2006年8月11日金曜日

脱藩のすすめ

世の中の秩序が大きく変わる時、その源流は常に反主流の中から発生する。明治維新という歴史的なパラダイム転換は、その前夜、時代の先を見据えて危機感を持った若者達の体制離反、いわゆる「脱藩」という行動を促した。脱藩した憂国の志士達、すなわち命がけで体制離反した人達のエネルギーの爆発が古い秩序を打ち破り新しい秩序を構築する大きな原動力となった。

これを今の時代に置き換えると、自分が長年所属してきた組織を飛び出す、たとえば会社を辞める、という行為がそれに近い。もちろん、会社を辞める理由は人それぞれであろうから、自分自身の時代観や大局観に基づいた大所高所の危機意識に裏付けられて退社した場合の話である。そしてその行動力と志や理念を共有できる人達が集い、力を合わせれば、そこにひとつの新しい秩序や価値を生み出す緒となるエネルギーが誕生する。

今の時代はブログもあればMixiもある。ネットやコミュニティの力をレベレッジとして上手く活用すれば世の中に分散しているエネルギーを束ねることも容易に出来る。維新前夜の憂国の志士達から見れば、びっくりするようなインフラが整っているのだ。しかもそれらが個人にはおおむね無料で開放されている。その価値はいくら過大評価してもし過ぎることはない。実に恵まれた時代だ。

既存秩序の中で息苦しさを感じている人達には思い切って行動することをおすすめする。人生の持ち時間は限られているのだから。

遠い夏の日

毎年夏になると思い出す遠い遠い昔の鮮明な思い出。中学生の頃。初めてのデート。代々木公園で缶ジュースを2つ買い、ベンチに並んで腰掛けて何時間も話し込んだ。学校のこととか家のこと。たわいもない話。指一本触れぬプラトニック。あれから信じられないような長い長い時間が過ぎた。それでも毎年夏が来るとまるで昨日のことのように鮮明に蘇る遠い夏の日の思い出。

2006年8月9日水曜日

喧嘩の是非

以前にここでジダンの頭突きの件を書いた。賛否両論あったと思うが、先日、自宅の本棚を見回していて古い本であるが、江波戸哲夫さんの「辞めてよかった!」(日本経済新聞社)が何年かぶりに目にとまり開いてみた。1996年の初版本であるから、昔からいつか会社を辞めることは想定していたのだろう(笑)。

そこで見つけた以下のくだりが、「ジダンの頭突き」で述べたことにも通じるようで共感したので以下に書き写す。

「フリーであれ、サラリーマンであれ、まず自分をきちんと主張し、それでも納得いかない場面で喧嘩をするのは、とても大事なことだと思う。喧嘩をすれば短期的には損をするかもしれないし、間違いなく翌朝には苦い自己嫌悪に陥る。それでもなお喧嘩をすることは大事だ。喧嘩をしないまま我慢をすると、必ず自分の中の何かをすり減らす。それは自分を自分としてシャンと立たせている何かである。その何かを失っては、サラリーマンとして、あるいはフリーとしてシャンと立てず、つまりはいい仕事ができるはずがない。いや、いい人生を送ることができないとさえいえよう。喧嘩などしないでもシャンと立っている人も稀にはいる。私もそういう人に憧れるが、多くの場合、それはさんざん喧嘩をして、損な目にも遭い、自己嫌悪を何度も味わってから得られる境地だろう。(中略)『この喧嘩で、自分は何を守り、何を失うか』という二者の比較考量であろう。なんの計算もなく思う存分喧嘩をできるほど私は大物ではない。言い方を換えれば、その計算の幅がその人の幅なのだろう。サラリーマン時代にその幅をできるだけ拡げておくことが、企業という存在を相対化し、そこを飛び出す準備ともなるだろう。」

人間、譲ってはいけないところでは決して譲るべきでない、という主張には少なからず共感。その為には会社を辞める、という喧嘩を売らねばならないことだってある。

2006年8月8日火曜日

厄日

先週の土曜日の出来事。

お誘いいただいたゴルフに出掛けた時の話。

いつもは比較的近場でラウンドすることが多いのだが、この日は、相模湖の近くというかなり遠方のゴルフ場。住んでいる横浜からのルートとしては、国道16号線を抜けて行く一般道のルートと、距離的には遠回りになるが、首都高で新宿に回りこみ、そのまま中央高速に乗るという高速ルートの2つがある。道が空いていれば高速ルートの方が時間的には早い。やや悩んだあげく、高速ルートを選んだ。

家を出発したのはスタート時間の3時間半前。若干の渋滞があったとしても、3時間半もあれば幾らなんでも十分だと思った。道が空いていれば1.5時間程度の道のりだからだ。しかし、横羽線にのってすぐに不吉な兆し。芝浦近辺から渋滞が始まったのだ。まだ、朝の7:00前である。ラジオの交通情報では、中央高速が高井戸から既に30キロ近い渋滞というアナウンス。絶体絶命じゃないか!

なんとか高井戸にたどりついたが、アナウンス通り、ETCも意味のない乗り口からの大渋滞。相模湖インターまで想定所要時間2時間という表示が出ている。スタート時間にはとても間に合わない。ちなみに私の車にはナビは積んでいない。

そこで、一緒に回るパーティの人に「間に合わないかもしれない」と携帯で緊急連絡をした。その時に、下の道はそんなに混んでいないという情報。調布で中央高速を降りて甲州街道に乗り換えた。結果的には一般道もひどく混んでいてずっとのろのろ運転。もはや、何時に着くか、まったく目処が立たなくなり、再度電話をして、状況を説明し、パーティに迷惑を掛けるのも気が引けたので、3人で回ってもらうこととして「このまま引き返そうかと思う」、と告げた。しかし、「遅れてもいいから是非来て下さい」という返事に励まされ、Uターンをかろうじて思い留まる。

ようやく、八王子バイパス乗り口近辺までたどり着いた。そこでは渋滞も解消し、道も前方に開けた。スタート時間には間に合わなくても若干の遅れで何とかなるかもしれない、と少しアクセルを踏み込んだ。そのとたん、後ろに赤灯を廻す白バイが。。。万事休す。路肩に寄せて車を止めると、白バイの警官が「少しスピード出てましたね」と嬉しそうに近寄って来る。渋滞が解消してバイパスに乗るところで待ち構えているとは、かなりたちが悪い。これではまるではめられたようなもの。いろいろと言い訳をまくし立てたが口頭注意で済ましてくれる気配もなく、26Kmオーバーであえなく減点3点の罰金¥18000也。しかも、処置が完了するまでに20分以上も待たされる。泣きたい気分。

「こうまでしてゴルフなんて馬鹿げている」、運転を再開し、はらわたが煮えくり返る思いを押し殺して冷静になろうと努める。そもそも、こんな災難を呼び込むのは何故か?この踏んだり蹴ったりの出来事が自分に伝えようとしている事は何なのか?この災いから自分は何を学ばねばならないのか?、引き続き先を急ぎながらも、あえてそんな風に考えてみる。そう考えると、これは災いではなくて、自分が引き起こした顛末ではないのか?と思えて来た。以下、分析結果。

(1)準備不足:ルート検索が中途半端だった。ゴルフ場までの道のりをもっと丹念に検討していれば恐らく国道16号を使う一般道ルートを選ぶべきだった。

(2)楽観の災い:今までの経験則から、高速ルートがこんなに渋滞しているとは想定しなかった。夏休み中でもあるし、道路事情については最悪の状況を想定すべきであった。

(3)注意不足:普段は警察やレーダーに対して細心の注意をしながら運転しているにも関わらず、瞬間的に無防備になっていた。

(4)不運:いつもは出掛ける前に道路公団のHPで渋滞状況を確認するのに、この日に限って、データが4:45amから更新されていなかった。

(4)は不可抗力、あるいは不運としても、(1)~(3)に関しては、自分がもっと慎重かつ丹念に準備しかつ走行していれば十分に回避し得た問題だ。これを自分の日常の行動パターンに当てはめると、同じような過ちを繰り返さないためにはいくつか反省すべき点がありそうだ。

結局、ゴルフ場に到着するまで、家を出てからなんと4時間半もかかった。こんなことは前代未聞である。5ホール目から追いついて合流したが、当然スコアはノーカウントだからもはや練習ラウンドのようなもの。気を取り直して、「練習に励もう」と割り切って臨んだが、やはりゲームに参加できないのでつまらなかった。

厄日には違いなかったが、この日の災難から自分のいくつかの弱点を分析し、今後もっと大事な件で似たような失敗をしないための学びの場だったのだ、という風に考えて自分を無理やり納得させることにした。やれやれ。。。

2006年8月4日金曜日

残暑お見舞い申し上げます

今年は涼しい夏かと思いきや、俄然、暑くなってきましたねぇ。知り合いがタイミング良く涼しげなペンギンの写真を送ってきてくれたので掲載します。アメリカや欧州は熱波に襲われているようですね。皆さん、健康に注意して暑い夏を乗り切りましょうね。

それにしてもこのペンギン、気持ち良さそうだなぁ。。。

2006年8月3日木曜日

いいかげんにしろ!

最近、プロスポーツの世界に「幼稚さ」や「甘さ」が目につくようになって来た。テレビ放送優先、商売優先のメディアや主催団体のスタンスがその風潮を助長しているのは間違いない。以前にここでも紹介したK1を見に行った時にも感じたのは、こちらが見に行ってるのは試合なのに、試合以外の派手な選手紹介や選手登場のパフォーマンスがやたらに長いことだ。もういいから早く試合を始めてくれ、という思いになる。

昨晩の亀田興毅の試合にはあまりにも限度を超えた茶番にがっかりした。すでに新聞紙面等で散々叩かれているのでここでは多くは述べないが、興毅選手本人の「若さ」以前の「幼さ」は見ていてむしろ痛々しさを感じるほどだ。演出された下品なパフォーマンスと試合前後の饒舌にもうんざりする。プロは余計な無駄口叩かず寡黙であれ、勝負にだけ集中しろ、と怒鳴りつけたくもなるが、問題なのはあのレベルの未熟な選手を金儲けの道具として祭り上げ、世界王座戦までさせてしまう、という周囲の大人達の品性のなさであろう。昨日の試合の判定はどうあれ、少なくともこのままでは彼のことを真の世界チャンピオンと認めるわけにはいかない。本当に才能があるのならば、当面メディアをシャットアウトし、大口を叩くのはやめて謙虚に出直し、次の初回防衛戦できっちりと納得の出来る決着をつけて欲しい。

亀田流と対照的なボクサーは西沢ヨシノリのような人だろう。何の派手さもパフォーマンスもない地味な努力型のボクサーだが、37歳定年制の特例選手として40歳になった今も現役ボクサーとしてリングに立ち続けている。

8月1日付、日経新聞のスポーツ欄の「スポートピア」というコラムで、脚本家の内館牧子さんが『勝ち越し露鵬に「?」』というタイトルで、一般人(カメラマン)に対する暴力沙汰を引き起こした露鵬についての処分が甘過ぎる、せめて勝ち越しが出来ないところまで出場停止にすべきであった、というテーマで持論を述べているが、その最後のくだりを引用させていただく。

「(前略)さらに私が理解に苦しんだのは、再出場の露鵬に、観客が「あたたかい拍手と声援」を送ったことだ。「罪を憎んで人を憎まず」にせよ、ブーイングを浴びせて、自分が犯した罪を厳粛に受け止めさせる必要があったのではないか。「あたたかい拍手と声援」のもと、千秋楽に姑息な変化相撲で恥ずかしげもなく勝ち越しを得た露鵬を、もしも「プロ根性」と讃(たた)えるなら、プロ根性とは何とも品性に欠けるものである。」

我々が見たいのは仕組まれた勝負や品性に欠ける試合などではない。高潔なプロ同士の本物の勝負が見たいのだ。やらせや茶番には決して甘い顔をしてはいけない。

2006年8月1日火曜日

すべては気の持ちよう

今日から8月だ。まさに光陰矢のごとし。

長い年月、ドッグイヤーの中で生きてきた。一分一秒を無駄にすることなかれ、と生き急いできた。常に時間に追われ、勝負に勝つために、いつも一刻を争う、先を急ぐ、というのが習性になっている。

4月からフリーな生活をするようになり、時間は十分にあるのに、習性とは恐ろしいもので、それでもまだ気が付くといつも先を急ごうとしている。今、自分にとって何よりも大切なことは、ペースを落としてスローダウンすることだ、とわかっているにも関わらず。。。

先日、こういう習性は意識的に気の持ちようを切り替えないと変わらない、と痛感した。車を運転している時のことだ。車を運転する時にも、気が付くといつも先を争っている。一分一秒でも早く目的地に着こうとしているのだ。だから、信号に引っかかったり、ちょっとした渋滞でも、自然にだんだん苛立ってくる。ふとした瞬間にその馬鹿馬鹿しさに気が付き、気持ちに余裕を持とう、と心掛けてみると、さっきまでのいらいらが嘘のように、ゆったりとした気分で優しい運転が出来た。

すべては気の持ちようである。幸せも苦難も同じことだ。周囲からは何一つ不自由のない恵まれた立場に見える人でも、その人の気の持ちようがネガティブであれば決して幸せとは言えない。同様に、どんな苦難でも、それを糧とするポジティブなマインドで臨めば、多くの幸せを呼び込むことが出来るのだ。

2006年7月31日月曜日

ハピーバースデー

今日は、親しく付き合っていただいている若い人達が、私の少し遅目の誕生日を祝ってくれました。長い付き合いの人も最近知り合った人も集まってくれてとても楽しいひと時でした。お心遣いに心から感謝致します。皆さんのような素晴らしい人達と知り合えて本当にありがたく嬉しく思っています。これからも世代を超えた付き合いの中でいろいろと刺激してください。よろしくお願いします。今日は本当にありがとう!!

2006年7月30日日曜日

ブログの再構築

この週末はブログの再構築を行った。テンプレートを変えてデザインを一新した。また、以前にここでも触れた問題がずっと気になっていたが、原因を発見して修正した。過去の投稿(Previous posts)で表示されないものがあったのは文字エンコーディングの問題だった。前にも触れた通り、このブログはGoogleのBloggerを使っているが、もともと英語圏の人用に作られたツールのために、日本語環境で使おうと思うといろいろと微修正が必要だ。テンプレートも揃ってはいるが、英語圏で作成されたものばかりで、テイストが合わなかったり、そのままでは自分の思うようなレイアウトにならずどうしてもHTMLを直接触って細かいところを調整したくなる。

今回、一連の作業を進める上で、「クリボウのBlogger入門」「トホホのWWW入門」が非常に役に立ったのでここにもリンクさせていただく。これだけ懇切丁寧な情報が無料で提供されているのであるから、今回の作業程度であれば本や有料の情報商材はまったく必要ない。なお、無料ブログツールはBlogger以外にもたくさんあるので、「無料ブログ(blog)比較情報」や、「【無料ブログ比較なら】まあ待て、ブログを借りる前にここを読め」のような比較サイトの情報も役に立つ。

それにしてもこの手の作業はやり始めると本当にきりがない(トホホ)。。。

2006年7月27日木曜日

うんと苦労するということ:補足

7月21日の「うんと苦労するということ」を読んでメールで直接次のような感想を送って下さった方がいる。

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先日の貴兄のブログで私の座右の銘のひとつと同じような文章があったので、嬉しくなりました。
  
   真剣だと 知恵が出る。
   中途半端だと 愚痴が出る。
   いい加減だと 言い訳ばかり。
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あらためて、愚痴や言い訳のない日々を目指したい。ありがとうございました。

2006年7月25日火曜日

日経新聞広告から

先週末の日経新聞の全面広告ページに、ワイキューブ代表の安田佳生氏と伊藤塾塾長の伊藤真氏の対談が載っていた。サンマーク出版の広告であったが、御両名の対談の中身は興味深かった。出版社の宣伝によると、安田氏の近著、「千円札は拾うな」は25万部、伊藤氏の「夢をかなえる勉強法」は16万部のベストセラーになっているそうだ。安田氏はリクルート勤務を経て人材コンサルティング会社を起業した人物のようだが、彼の発言の中で印象的だったのは以下。

「(前略)やはり、こだわり過ぎはよくない。捨てたくないものを捨てることに価値があると気づくまで、時間がかかり過ぎました。いまの自分は何をしたらいいのか、いまの自分の価値観だけで判断していたら絶対に成長できません。」

「結局、自分を一番縛っているのは、過去の成功体験なんですね。そのために不自由になっている人はたくさんいます。(中略)なまじ成功した体験があると、自分のスタイルというものを作ってしまっている人もいます。自分の個性ややり方をかたくなに守り、一手先の自由を得ることだけに固執していると、五手先を考えたらものすごく不自由になりかねないですよね。」

「人生にはフルモデルチェンジが何回か必要ですよね。マイナーチェンジの方が楽ですが、必ず限界が来る。部長に昇進したらもう一度ゼロからやり直さなければいけないのに、課長時代のまま、「70点の部長」からスタートだと考えてしまう人がとても多いんです。」

「飛び抜けて仕事ができる人は、おっしゃる通り想像力というか、結果から逆算する演えき的な思考能力が特に優れています。そうした人に比べて、同じ論理的思考能力の持ち主でも論理を積み重ねるだけの人は、長い間に年収にものすごく差がついてしまうような気がします。」

「そもそも新しいやり方というのは、常に常識外のところから出てきます。飛行機だって、論理の積み重ねだけでは生まれなかったはずです。人間は飛べないという結論を出して終わってしまうのではなく、いや飛びたい、飛べるはずだと考えたからこそ成功したんだと思います。」(注:この話はたしかナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」の中の逸話にもあったと思います)

「人生をより良く生きるということから考えたら、無駄なことなんてほとんどないんじゃないですか。無駄なことが嫌いだという人は、一手先ばかりを考えているからだと思います。」

一方の伊藤氏は司法試験合格指南のカリスマ塾長と呼ばれている人物とのことだが、彼の発言で心に残ったのは以下。

「そういえば私、新しい塾を開くときに弁護士資格も捨てました。周りからは、何てもったいないことをするんだとあきれられましたが。(笑い)」

「多くの司法試験受験生の勉強法を見ていると、未知の問題への対策が不十分なんです。試験には必ず未知の問題が出ます。それに対処するためには、膨大な量の既知の問題を分析し、そこから自分で未知の問題を考えてパターン化、解答のマニュアルを作っておく必要があります。」

「高い目標を持つことが大切だということは、司法試験の受験生にも言えます。合格する人に共通するのは、常に先を見据えていることです。弁護士、検察官、あるいは裁判官になったらこういう仕事をしたいという志を持ち続けている人なんです。」

「司法試験は努力したからといって、それが必ずしも報われるものではありません。(中略)でも、そこを断ち切るというか、捨てて次の世界に向かって行くところに大きな飛躍がある。その意味で、合格と不合格は実際には等価値なんです。長い人生を見たときには、幸せへの道は何本もあるのですから。」

さっそく、お二方の著作を購入した。

    

2006年7月24日月曜日

全英オープン(ゴルフ)

ゴルフのメジャー大会のひとつ、今年の全英オープンで先ほどタイガー・ウッズが優勝した。父親の死で精神的に落ち込み、直前の全米オープンでは予選落ちだったが、短期間で強いタイガーが復活した。優勝した瞬間、キャディや奥さんに抱きついて号泣していた。こんなタイガーを見たのは初めてだ。

彼は父親との絆が人一倍強かったと言われている。タイガーのずば抜けた才能を逸早く見抜いたのも父親だったそうだ。生前は何かと頼りにする精神的支柱になっていたようだ。

さまざまな困難を克服してメジャー優勝をみごと再び勝ち取り復活したタイガーのずば抜けた精神力と技量、彼の父親への愛の深さに感動すると同時に、自分の年老いた父親への思い、また自分自身、若い息子を持つ父親としての思い等がいろいろと重なり合ってきて、誰もいない深夜のテレビの前で思わず目頭が熱くなった。

それにしても、一流のプロフェッショナルというのは、常に素晴らしい物語を作り上げてくれるものだ。

2006年7月21日金曜日

うんと苦労するということ

「少しの苦労では愚痴が出る、うんと苦労すると知恵が出る」という言葉を教えてくれた人がいる。いい言葉だ。気に入った。愚痴が出ている間はまだまだ苦労が足りないってことだ。知恵が出るまで苦労しよう。

一方、私は苦労やストレスには良性のものと悪性のものがあると思っている。良性の苦労やストレスは人を育て、鍛え、創造力をはぐくむ。他方、悪性の苦労やストレスは人を病気にしたり、暴走させたり、苦しめるだけだ。自分が今感じている苦労やストレスが良性のものか悪性のものかについては常に敏感でいた方がいい。万が一、それが悪性のものであると確信するのであれば、一刻も早くその状態から脱出した方がいい。あなたが並みの人なら、耐えても耐えるだけ生命力が削がれ、やがて脱出する気力すらも奪われてしまう。

しかしながら、きっと本当に強い人とは、悪性の苦労やストレスをも良性のそれに変えてしまえる人の事を言うのであろう。「艱難、汝を玉にす」という言葉もある。戦後、電力事業に貢献した松永安左衛門は、本物の人物になるための3つの条件として次のものを挙げた。

1.生きるか死ぬかの大病をする
2.何かの誤解で刑務所生活をする
3.職を離れ、浪人の身となり辛酸をなめる

このどれかを、出来ればすべてを体験しなければならないと言っている。通常は人間は出来れば苦労を避けたいと思う。「苦労は買ってでもしろ」等と頭ではわかっていても、言うは易し行なうは難しである。だから、この松永という人物はこういうことを言うだけでも並の人ではなかったのだろう。

私自身は今現在、幸か不幸か(?)まだ1と2の経験はないが、3の状況であることは確かだ。でも、辛酸をなめるほどのレベルか、と言えば、到底そんなレベルにはない。不安になったり焦ったりと気持ちが弱くなった時には、そう考えて気持ちを強く持つようにしようと思う。今の苦労なんて苦労のうちには入らないのだ。

2006年7月16日日曜日

ジダンの頭突き

ジダンの頭突きの話題がいまだ盛り上がっている。いったい、彼とマテラッツィの間にいかなるやり取りや確執があったのか真相はわからないが、ジダンがTVインタビューで言った通りの侮辱があったのならば、頭突き大いに結構だ。それがジダンの限界でもあり、スタイルでもあるのだから。

ようやく苦労の末に勝ち進んだワールドカップの決勝戦という晴れ舞台、しかもこれが自分の現役最後の試合、ここで活躍してフランスを勝利に導けば自国のみならず、世界中の英雄だ。その名声は揺るぎないものとして後世に長く語り継がれること間違いなしだ。実際にあんなことでジダンが退場にならなければフランスが優勝したかもしれなかった。だから、よっぽどの馬鹿か見境いのない人間でもない限り、晩節を自ら汚すような行為は慎み、フランスチームの勝利に向けてわずかな残り時間集中しようとするのが常識だろう。何を言われたとしても黙殺して次のプレーに進むのが大人として、プロとしてのあるべき姿だ。

しかし、ジダンは自分と自分の家族が受けた辱めに対して、一瞬の躊躇もなく、勝利も名声もかなぐり捨てて、愚挙に出た。そこにジダンの男としての生き様を垣間見た気がする。彼は馬鹿でも見境いのない人間でもないから、愚挙の直後にはただちに冷静さを取り戻し、自分のやった行為を自ら断罪し、一切悪あがきすることもなく潔く退場して行った。フランスのTV局のインタビューでは子供達を失望させたことに関しては謝っていたが、自分の行為を否定はしなかった。

人生において忍耐が大切であることは当然だが、耐えてはいけない時もある。耐えるべき時に耐えられず、耐えてはいけない時に耐えている人が多い中で、あの瞬間は少なくともジダンにとっては耐えてはいけない瞬間だったのだ。彼の生い立ちを詳しくは知らないが、アルジェリア移民として、自分と家族の尊厳や誇りを守る、ということに対する感度は人一倍強く、それはフランスの名誉よりも重いものであったのかもしれない。だから、賢者の判断ではあそこは耐えるべき瞬間だったのにも関わらず、逆の行為、すなわち、すべてを瞬時にして捨て去る一見無謀な行為に及んだのだ。そこには一切の打算も計算もない。純粋な気持ちの高まりがあっただけだ。

何人(なんぴと)にも守る対象があるはずだ。それが傷つけられたときに牙を剥くのは人間の本性だ。理性ではない。この一件で、2つの映画を思い出した。ひとつはラッセル・クロウが主演した「グラディエータ」、もうひとつはメル・ギブソンが主演した「パトリオット」だ。「グラディエータ」では、愛する妻子を惨殺されたローマの英雄が剣闘士として生き延びながら復讐の鬼となった。「パトリオット」では、次男を目の前で射殺された父親が、生来の獣性を取り戻して復讐の鬼となった。どちらもむごい映画だったが、絶対に許したり耐えてはいけない相手と行為に対して、ただひたすら「その時」を狙って耐え続ける内容で心に残った。

状況が状況でもあり、あまりにも直情的に見えたジダンの行為に対しては擁護派と攻撃派に分かれるだろうけれど、あの何のためらいのない一瞬の頭突きに、一種の人の生き方の潔さを感じて痛快な思いがした。私はあの頭突きでジダンの本当のファンになり、今後の彼の生き方に興味を感じるようになった。

    

2006年7月9日日曜日

内観ということ

ここ数ヶ月、「内観」ということを意識している。「内観」を深めて行くほどに、自分の人間としての至らなさや未熟さを思い知らされる。毎朝、家人や近隣が起き出す前に起床して外に出る。朝の新鮮な空気を吸いながらしばし瞑想する。鳥のさえずりや虫の羽ばたき、遠くで動く木々のざわめき、一日の活動を開始しようとしている街の気配、いろいろなことを感性で読み取ることに集中する。これに、江原啓之さんの本にあった3つのことを念じることも最近加えている。「今日一日を良い日にしよう」「今日出会う人達に親切にしよう」「たった一歩でもいいから今日の自分を昨日の自分よりも進歩させよう」

怒り、悲しみ、焦り、不安、羨望、嫉妬、、、ネガティブな想念をすべて吐き出して、感謝、希望、喜び、満足、安心、自信などのポジティブな想念に置き換えようとするが、日常活動の中では、なかなか思うようには行かない。毎週末、スポーツクラブでの仕上げとしているサウナの後の冷水風呂につかりながら、目を瞑って一週間を振り返ると、まるで駆け出しの修行僧のような心持ちになる。その週の自分の未熟な言動をいくつも思い出しては、まだまだだ、と反省する。

最近、スピリチュアルブームと言われるが、私はこれはとてもいいことだと思う。単なる興味本位では心もとないが、私達の日常が、なんらかの「神秘の力」に左右されている、と感じ、それをはっきりと認識することにより、身の回りの出来事や出会いの必然を意識してポジティブな生き方が出来るようになるからだ。その為には、「神秘の力」の存在を自然に感じ取れる感性を磨くためのさらなる内観が欠かせない、と感じている。

    

2006年7月7日金曜日

国民の危機意識と国家の危機管理能力

隣に物騒な国が居るのは困り物だが、そういう国が悪さをしても腰が引けたままの国も情けない。自国民が拉致というテロに遭い続けても長年見て見ない振りをして来たのがこの国の実態だから、ミサイル攻撃を受けてもなすすべはない、というのが本音のところだろう。今朝の、みのもんたの番組に額賀防衛庁長官が出演していたが、みのさんの「もし、ミサイルが国内に落ちたらどうするのですか?」という質問に国家防衛の最高責任者がまともに答えることすら出来ない光景は実に寒々しかった。

学生時代に訪れたアメリカの大学の学生寮に、「災害時の避難について」という注意書きが壁に貼ってあったのを思い出すが、災害の種類のリストの中に、"Hurricane" や "Tornado" 等と並んで "Enemy Attack" とはっきり書いてあった。敵国からの攻撃を日常生活の中で常に想定しているのを目の当たりにして危機意識に関する彼我の違いを感じたものだ。

もっとも、国家としてのスタンスの違いや、軍事力、情報収集能力の違いはあっても、現アメリカ連邦政府もNew Orleansを襲ったHurricaneには無力だったし、9.11のEnemy Attackに対してもなすすべはなかった。だから一概にアメリカの方が国民の危機意識も国家の危機管理能力も優れている、と言えるわけでもなかろうが、国家の一大危機が想定される状況下にあって、エルビスの真似してはしゃいだ間抜け面をメディアに晒していたような人が宰相であるのが我が国の実態である。我々国民の一人一人は、心して自分の身は自分で守る、という最低限の認識だけは強く持っておいた方がいいだろう。

2006年7月5日水曜日

格闘技

先週の金曜日、息子を連れて新横浜の横浜アリーナで開かれた「K-1ワールドマックス2006」を見に行った。会社で働いていた時にはなかなか行きたくても行けなかったところに出掛けたり、やりたくても出来なかったようなことを一つずつやっている(笑)。

期待していた魔裟斗があっさり準決勝で負けてしまったのにはがっかりしたが、格闘技の生の迫力はさすがだった。優勝はタイのムエタイ出身のブアカーオがオランダのアンディ・サワーに3ダウンを奪って勝ち取った。野蛮な言い方で恐縮だが、男が男を殴り倒す現場はやはり凄い。

驚いたのは若い女性が大勢来ていた事。メディアのはなやかな演出や仕掛けが功を奏して、K-1をはじめとする格闘技は今や女性を大量動員するメジャーイベントになっている。

でも、女性の格闘技ファンの方々にははなはだ恐縮だが、この世界は男の聖域として本来絶対に譲れない。男とは、生来、闘ってなんぼの生き物だと思う。それは肉弾戦の世界でもビジネスの世界でもまったく同じ。闘わない男や闘争心の弱い男は既に男を捨てている。勝っても負けても、フェアプレーで最後まで死力を尽くして闘ってこそ、真の戦士として認められるのだ。

男同士の肉弾戦を観戦するということの魅力は、理屈抜きで我々男性の存在意義について自信を与えてくれる、というところにあるのかもしれない。

以上、暴言、暴論お許しを。

2006年6月28日水曜日

行動してますか?

Goal oriented vs. Process oriented....昨晩、知り合いの紹介で初めて会ったカナダ人との会話の中で話題になったテーマの一つだ。我々の行動特性を考えるときの切り口の一つだと思う。明確なゴール設定と、そこから逆算してプラニングした現実的なプロセス設定と実行が成功への王道であることは間違いないが、ゴールが必ずしも明確に定まらない場合、とりあえず動き始める、とにかく行動してみる、というのも重要なことだと思う。行動の中からゴールが見えてくることもあるし励まされることもある。

ゴールを明確にしないと身動き出来ない人、ゴールも何も考えないでとにかく体が先に動いてしまう人、人によって行動パターンはさまざまだと思うが、やはり人生の長期的な大目標や夢は無いより有った方が後悔しない人生を歩めると思う。後はその大目標に到達するまでの過程における小目標の設定と、それらの小目標の一つ一つを達成する熱意や実行力、創造力が人生を決めて行く。間違ったと感じた時に、目標を再設定したり、軌道修正する勇気や決断力もポイントだ。

でも、ゴール設定が出来なかったり、設定したゴールに不安があっても、行動する、ということは常に重要だ。人生、「出来るか、出来ないか」ではなくて「やるか、やらないか」だ。思い立ったら今日から行動する、ということが大切だ。今日をチャンスに変えることが出来るかどうか、が結局は人生を決める。やった方がいいとわかっていることでも、明日から、と思っている限りは永遠に明日が来ることはない。いつだって勝負は今日なのだ。

2006年6月22日木曜日

騎虎之勢 不得下

台湾に行ってました。あまりいい写真を撮れませんでしたが台北の街中の様子です。高級ブランド店もどこも活況を呈しています。1998年位から仕事で台湾には頻繁に行くようになりました。ここ数年あまりを見ても劇的に急成長している地域の一つでしょう。中国本土の経済発展の一翼を担っているのも台湾経済の急成長です。

私が知っている台湾企業の多くはどこもほんの数年で信じられないくらいの急成長を遂げており、たとえば総売上が日本円で¥1000億レベルから、¥1.5兆レベルへ、といった具合です。技術力や生産力、品質管理能力なども、日本の製造業との交流や大量の人材流出もあって、数年前と比べると格段に進歩しています。

ですから、台湾や中国を考えるとき、ちょっと目を離していると激変している、という意識を持った方がいいです。完全なドッグイヤー経済ですから、たとえば、自分の2年前の経験で台湾や中国を語るのは既に時代遅れではなはだ危険とすら言えます。

ビジネスに対する意欲が旺盛で、高い教育水準を誇り、私も今後の自分の人生の中での重要拠点として関係を維持し続けておきたい地域です。

2006年6月15日木曜日

Google AdSense その2

ちょっとサッカーのこと書いたらAdSenseの内容が全部W杯やドイツの宣伝に変わった。。。うーん、恐るべし、AdSense。

2006年6月14日水曜日

謙譲の美徳?

当事者である選手や監督は誰よりも一生懸命やっているので一切責められないが、サッカーワールドカップの日本戦初戦はやはり不甲斐なかった。格下と言われていたオーストラリアに対して文字通りの惨敗を喫した。

いつも思うのは、サッカーもJリーグが発足し、ワールドカップに参戦する実力をつけるようになってから長いのに、世界に通用するような得点力のあるフォワードの選手がいつまでたってもまったく育たない、ということだ。得点力がないのだから、どんなに守りを鉄壁にしても勝ちようがない。今回も、絶好の得点チャンスをいくつも無駄にしている。

他チームの試合を見ていると、強いチームはまさにゴールに突き刺さるような鮮やかで強烈なシュートを連発している。初戦の相手のオーストラリアにしても30何年かぶりの出場とは思えない攻撃力で、格下どころか、得点力においては明らかに日本チームを大きく上回っていた。

この真の原因はなんだろうか?体格、基礎体力、身体能力、攻撃と守りのバランス、監督の采配、チーム作りの考え方と予算、、、いろいろな理由があるのだろうが、国民性というものも少なからず関連しているのではないだろうか?強いチームは「肉食系」「狩猟系」の民族に多いような気がする。もともと「農耕系」の日本人は国民性的に、ここぞというときの瞬発力や積極性に欠けるのでは?得点力のある他国の選手を見ていると、まず自分自身で突進して行くことを常に優先し、自分でゴールすることへの執着心が違うような気がする。日本選手の場合は、個人技になっても絶好の場面でもたついて自滅してしまったり、ここでシュート、という時に、仲間にパスしてしまったりでチャンスを潰している。ここ一番の肝心な時に、仲間への「譲り合い」や「遠慮」、所謂「謙譲の美徳」のようなものが「何が何でも俺が決めてやる!」という気合を邪魔し、結果的に好機を逃す、というような面もあるのではないだろうか?

チームワークのスポーツとは言え、勝つためには、緻密な戦術以上に、選手一人一人の闘争心、執着心、虚栄心(野球の新庄のような目立つことへのあくなき執念!)のようなものが最後の決め手になると思う。次のクロアチア戦では、「我こそは」という強烈な闘争心と自尊心で突進する迫力のある選手の活躍で何が何でも勝利をもぎ取って欲しいと願う。

2006年6月8日木曜日

忍び寄る影響力?

今回、行きの飛行機の中で、佐々木俊尚著、「グーグル Google 既存のビジネスを破壊する」(文春新書)を読んだ。著者はCNETブログ等でも活躍しているフリーの記者。グーグルによる既存秩序の破壊と新たな秩序の創造についての具体事例を取材した解説本として、大変わかりやすく面白い読み物となっている。

それにしても大構想はともかく、グーグルのBloggerは小回りが効かず何かと使いにくい。ここ最近はどういうわけだかシステムが非常に重かったりメンテ中となることも多い。まるでしょっちゅうトラぶって止まっている最近のJR京浜東北線のようだ。Google LabsでGoogle Spreadsheet等のテストリリースが始まっているが、何か影響しているのだろうか?このブログの表示バグ等の問題も気にしつつまだ解決出来ていない(日本語ヘルプの説明が不親切でわかりにくいです)。

あまり余計な事を書くと、佐々木さんの本で紹介されているような災難に見舞われても嫌なのでこの辺にしておく(笑)。

2006年6月7日水曜日

森林浴 in California

シリコンバレー滞在中に、どうしてもカリフォルニアのいい空気を思い切り吸いたくて、ハイウェーの280からちょっと山の中に入ったところに日暮れ前に駆け足で行ってみた。世界の変革をドライブするインテリジェンスとエネルギーはこのカリフォルニアの豊かな自然や空気と無関係ではないと感じる。平日とはいえ、ちょっと郊外に出ると車も人もほとんどいない。時折、自転車に乗ったアスリートを見掛けるくらいで、どこか遠くの山奥にでも来たような気分である。車を降り、しばし静かに森の中にたたずむと、木々のざわめきや鳥の声、遠くの風の動き、大自然の息遣いを身近に感じ取ることが出来る。現代社会のストレスに晒され続けていると、人は本来持って生まれた感性や触覚を退化させて行くというのは事実だろう。自然との接触を大切にしなければならない、とあらためて感じる。もう少しゆっくりしたかったが、夕食の約束に間に合うよう、急いで山を降りた。

2006年6月5日月曜日

シリコンバレーの今は昔

日曜日に帰国しました。会社にいた時代は少なくとも月に2回は仕事で海外に出掛ける慌しい生活が何年も続いていましたが、今回は久し振りに、しかも半ばプライベートな旅だったので、とても平穏でリラックスした旅でした。

主にシリコンバレー界隈に居ましたが、「ウェブ進化論」の梅田さんにも会いました。私自身の今回の決断の背景や現在の心境等についても話題にして率直に伝えましたが、梅田さんはそういうことに対しても非常にオープンかつ真摯に意見してくれたのでとても有意義な時間を過ごすことが出来ました。梅田さんに感謝します。

ハイウェイの101をレンタカーで走りながら思いましたが、過去何度となく通ったこの道の周囲の風景は何も変わらないようでいて、本当にここ20年ほどを振り返ってみても、見えないところで激変、様変わりしてきたわけです。ムーアの法則に則って大成功したIntel、次世代の覇権の象徴であるGoogle、Yahoo等の建物の写真を掲載しておきますね。Intelもまだまだ勢いは残っているものの、Microsoftと同様に既に最盛期は過ぎつつあり、特に経営がPaul Otelliniに変わってからはまったくパッとしませんね。。。と書きながらIntelのホームページを眺めていたら、創業者の一人、Robert Noyceの言葉が掲げられていました。

「過去にとらわれてはいけない。そこから離れて何かすばらしいことを始めてみよう」

みんな頭ではわかっていてもがき苦しんでいるんですね。過去の成功体験を捨てたり現状を変える為に具体的な行動を起こし、なおかつ結果を出す、というのは企業にとっても個人にとってもそう簡単に出来ることではありません。大多数の企業や個人は、結局現状を変えることのリスクの方を恐れ、現状に甘んじて衰退して行きがちです。変化の激しい時代だからこそ、変化を恐れて何もしないことのリスクの方が大なることを知るべきです。

今朝の日経一面は「村上代表 逮捕」の大見出しで始まっています。法を犯したのだから擁護するつもりはまったくありませんが、しかしたいした行動もせず結果も出していない人達も、生き急ぎ躓いたホリエモンや村上氏についてとやかくいう立場ではない、ということはわきまえておくべきだ思います。


    Intel(左)   Google(右)


    2枚ともYahoo

2006年6月2日金曜日

US Visit

今週は月曜日からアメリカに来ています。会社を辞める前、3月にニューヨークを訪問して以来です。帰国してからゆっくりレポートします。

2006年5月27日土曜日

Google Blogger

このブログはGoogleのBloggerというツールで作っている。ブログ文化発祥の地であるアメリカでの評価が非常に高いし、何せ運営主体はGoogleだから、他のブログツールに比べて未来志向であろうと判断して使い始めたが、カレンダー機能とか、「続きを読む」や「トップに戻る」機能とか、RSSアイコンの表示とか、結構普通のブログサイトには標準でついている当たり前の機能がなかったりするし、まだまだ日本語環境下では使いにくい点も多い。また、私のサイトでも過去の書き込み(Previous)が記事によってはなぜかきちんと表示されなかったり、本体かテンプレートかわからないが、バグと思われるものも散見される。足りない機能は他のツールを併用したり、少しずつ良いものにして行こうと思っているので、不都合な部分を見つけたら是非教えて下さいね。

2006年5月25日木曜日

食わず嫌いの恥

誰でも読んでいるRobert Kiyosakiのベストセラー、「金持ち父さん」シリーズをずっと食わず嫌いしていた。きっと成り上がりが書いた成金志向の本だろうくらいに思っていた。

何事も偏見や食わず嫌いはいけない。

今年の初め位に、「金持ち父さんのキャッシュフロー・クワドラント」を無理矢理貸してくれた人が居たのでしぶしぶ読み始めたら、これがとんでもなく素晴らしい本であるということにすぐ気が付いた。要は人の生き様についての著者の哲学や魂が込められたとてもまともで本質的な本なのである。その後、Robert Kiyosakiの主な本は一気に一通り読んだ。一度、飛行機の中で読んでいたら、翻訳版なので日本語であるにもかかわらず挿入チャートか何かでわかったらしく、隣席のイギリス人が、「これはいい本だよね」と話し掛けてきてしばし会話が盛り上がった。どの国の人にも通じる共通のテーマなのだ。

以来、私も常にクワドラントの右と左を意識して物を考え行動するようになった。会社を辞める、という決断にも潜在的には少なからず影響があったかもしれないと思う。辞めてからさらに彼が主張することが実感としてよくわかるようになった。これからはなるべくクワドラントの右側の人達との人脈を広げ深めて行くつもりだ。

年金での社会保険庁の不祥事が止まらない。あきれたものだ。税制も節税の手段をほとんど持たない普通のサラリーマンにはさらに搾取が厳しくなる方向で見直されて行くだろう。でも、そんなことに文句だけ言っていても何も始まらない。これからの世の中、ファイナンシャルインテリジェンスを鍛え、自分の身を自分で守る知恵を身につけてそれを地道に実践していくしかないし、そうでないと生き残れないのだ。

サラリーマンを辞めずともすでにそういうことを十分に理解して活動している人達はたくさんいる。ネットでたまたま見つけただけだが、かん吉さんという人のサイトも参考になりそうだ。

        
        

2006年5月24日水曜日

Abbey Road

親しくしている昔の同僚が長年の米国赴任から帰任し、先週再会した。現地での苦労も多かったと思うが、混乱を極める東京の本社から疎開するような形でしばらく海外に居たことは彼にとっては正解だったと思う。

語学も堪能で、現地の人達からの信望も厚く、もともと海外生活が似合う男でもある。オープンでストレート、何事も本質を突いた彼の意見はいつもとても参考になるし共感できる。総勢で4名の会であったが、気兼ねなく何でも話の出来るメンバーだったのでとても楽しかった。

六本木の隠れ家的な上品な店での一次会の後、もう一軒行こう、ということになり、だったらビートルズのコピーライブにでも行こうか、と提案してAbbey Roadに行った。六本木にはもう一軒、Cavern Clubがあるが、いずれもビートルズファンにはこたえられない。

私は所謂ビートルズ第2世代の年代だが、彼等の曲はすべて心の琴線に直接響く。一緒に行った仲間の中でビートルズの出身地であるリバプールを知っている人曰く、「労働者階級がほとんどというひなびた場所から、当時世界を目指したのは驚異的」だそうだ。確かに改めて地図で確認すると、とんでもない田舎の町だ。

今やメンバーも既に2人が他界してしまったとは何とも残念。ジョン・レノンが殺された第一報は、大学時代、運転する車で聞いていたFENの臨時ニュースだった。突然涙が溢れて止まらなかった。つい昨日のことのようにはっきりと覚えている。。。

それにしても、とっても穏やかで心地のいい夜だった。

2006年5月21日日曜日

ハローワーク その2

先週、再度地元のハローワークを訪れた。雇用保険説明会初回講習会というのに参加が義務付けられていた為だ。受給資格者証の交付を受けた後、30分ほどのビデオ教材を含む3時間超にも及ぶ講習を受けた。失業認定申告書の記入上の注意や4週に一度の認定日の変更に関する注意、不正受給に関する注意等が主な内容であった。今後、月2回以上の求職活動実績と、あらかじめ厳格に指定された認定日に来所して失業認定を受けること等のルール遵守を前提に雇用保険の給付を受けることが出来る。

前回と違って、朝から雨の降る蒸し暑い日で、講習会場にはびっしりとパイプ椅子が並べられ、溢れる程の人だった。まったく悪びれてない感じの若い人から、終始うつむきがちで自信のなさそうな初老の人まで、集まった人達の様子はさまざまだったが、世の中で失業していてかつ職を求めている人というのは随分大勢居るものだと実感した。知っている人は誰も居ないし、それぞれに事情や背景は異なるものの、これは一つのコミュニティであり、仲間であることには違いないと思った。

2006年5月16日火曜日

現在価値と将来価値

人はその瞬間瞬間を生きているわけだから、毎日、その瞬間を大切に生きることは人生の基本姿勢だけど、同時に人生の将来価値を日々生み出すような生き方をして行きたいと願う。

会社にたとえると、たとえ現在価値が大きくても日々将来価値を生み出すような企業活動を伴わない会社はいずれその企業価値を目減りさせて衰退して行く。一方で、設立したばかりで現在価値の小さな会社でも、将来価値が大きくなるような市場やトレンドに目をつけ、日々企業価値を生み出し高める活動を積極的に展開する会社は、たとえ最初は苦しい時期が続いても、いずれ大きな価値を還元する存在になり得る。

自分が現在価値を守る立場で仕事をしているのか、将来価値を生み出す立場で仕事をしているのか、という視点は、自分自身のその時々の立脚点を見定める上で、常に持っていたい視点だと思う。会社としては、日々の糧を得る、という観点では「現在価値を守る」為の行為も必要だが、常に成長する会社であり続けようと考えるのであれば「将来価値を生み出す」為の卓越したビジョンや勇気、その上での覚悟と計画に基づいた経営資源の継続投入が不可欠だ。

そのようなバランスを欠き、日々の糧を得る為の短期的な結果に一喜一憂しつつ、ひたすら現在価値を食い潰すだけの企業には未来はない。

2006年5月15日月曜日

It's a small world

もともと同じ会社に勤めていて、私よりも先に退社・転職した親友のH氏から、懇意にしている日系アメリカ人のI氏を紹介したい、と誘われ、H氏と、I氏と、彼の奥さんの4人で食事をした。H氏のことは是非また日をあらためて紹介したいと思うが、その晩に現れたI氏はとても気さくで明るく、ひどく乗りのいい人生を歩んでいる感じの人だった。

驚いたのは、食事の最中の会話の中で、私が若い時に、パートナーとして協力してプロジェクトを進めたアメリカの通信会社の当時の相方の名前がI氏の口から突然出てきたことだ。仮にE氏としておこう。会社は違っても、当時E氏とはすぐに打ち解けてお互いに腹を割って話せる仲となり、Virginia州の会社だったが、行く度に空港まで迎えに来てくれて、彼がドライブする車中でも、仕事以外のことも含めていろんな話をした思い出深い人だ。とってもいい仕事が出来た相手だったが、それ以来、音信不通になっていた。たまに、「どうしているだろうな?」と思い出すことがあっても連絡が取れなくなっていた。

I氏が先方に連絡してくれて、さっそくE氏からメールが届いた。懐かしかった。当時とはまったく別の会社で頑張っている様子だ。遠からずきっと再会する機会もあるだろう。まさに、世の中は広いようで狭いということの具体例の一つだ。

2006年5月14日日曜日

いい加減目覚めなさい!

3月初旬に退社を表明してから、勤めていた会社の内外のいろいろな皆さんに声を掛けていただき、ほぼ毎晩多彩なメンバーとの小宴が続いている。3月中にスケジュール出来なかったものは4月中にお願いして、5月連休中は肝臓の為にも少し休ませていただき、連休明けからはまた夜な夜なさまざまなお誘いへのお付き合いが続いている。

会社を辞めた側も、残る側も、皆が皆、人生を精一杯生きているのは間違いない。壮行会や激励会のようなものから、身の上相談会のようなもの、愚痴っぽいものから、明るい未来を語る会のようなものまで、多士済々の面々が開いてくださるそれらの会では励まされたりあらためて考え込まさせられたり。。。いずれにしろ、大勢の人達のお心遣いには心から感謝をしているし、会社を辞めたところで、本当に大切な人達との交流や絆はこれからも続いて行くはず、と信じている。

「女王の教室」という日テレのドラマで、天海祐希扮する主人公の阿久津真矢が「いい加減目覚めなさい!」という台詞を子供達に対してよく使っていたが、私は40代後半にして、幸か不幸か、ようやく「目覚めた」。ただ、ドラマと同じで、目覚める為にはさまざまなショック療法が必要だったのだと思う。会社を辞める決断に至るまでの最後の数年間は本当に散々な目に遭った。

「何かを得るためには何かを代償にしなければならない」「失うものがあれば必ず得るものもある」は人生の基本哲学。自分の人生において本当に大きな物を得るための真のチャレンジがまさに今始まったのだと感じている。どんな些細なことでも、日々の新しい発見や気付きを大切にしていきたいと願う。

2006年5月12日金曜日

Google AdSense

将来は家電の機能も、ネットのサービスも、「成長する知性」で我々のライフスタイルをサポートしてくれるようになる、と昔からずっと思ってきたけど、このブログでもやたら貼り付けたGoogleのAdSenseとか、Amazonのアフィリエイトの機能はそのコンセプトを具現化していて結構面白い。

AdSenseはコンテンツの中身を人手を解さずに全自動で解析しているそうだけど、今のところそのアルゴリズムはまだそれほど高度ではない感じだ。それでも、基本的には、ほんとに内容にあわせた広告がどんどん入れ替わって行くのは新鮮で面白い。

AdSenseの運用ルール上、自分でクリックするのは反則になるが、ほんとは、一番クリックしたいのはサイトのオーナーだと思う。自分にとって興味のある情報が次から次に提示されるのだから当然だ。ちょっとこの「自分ではクリックするな」というルール、不便だから緩めてくれないかなぁ?別にずるして小銭貯めようなんて思ってないからさぁ(笑)。

2006年5月10日水曜日

親友

先日、高校時代からの大親友と久し振りに会った。私が唐突に会社を辞めたことを心配して赤坂のしゃれた店を手配してくれていた。

彼も業際は全く異なるが日本を代表する一流大企業で頑張ってきた。同じようにいろいろと苦労もあったのだろうが、次期役員候補の一人として順調に出世の階段を登っている。昔から大柄でやけに貫禄のある奴ではあったが、しばらく会わないうちに大企業幹部としての風格がすっかり身についている。

友達はいいものだ。どんなに間が空いても、会った瞬間に青春時代の「お前」と「俺」に戻る。こちらの、同期筆頭での速いプロモーションと活躍を良く知っていただけに、今回の急な退社にはかなり面食らったようだ。

それでも、

「お前がじっくり考えて決めたことなんだろうから何も心配はしてないよ」

の一言。自分の表も裏もすべて知り尽くした親友からの一言は素直に心に沁みる。

お互いの近況報告や昔話に花を咲かせ、遅くまで大いに飲んで語った。ありがとう。これからも頼りにしてるぜ。まだまだ長い残りの人生、お互いに頑張ろう!

2006年5月7日日曜日

横須賀 三笠公園

5月連休とは言っても、今年は4月から会社を辞めた生活なので、特に遠出することもなく普段通りに過ごした。いい天気で爽やかな日が多かったが、3日の水曜日、快晴で風が気持ちよかったので、三崎にでも海を見に行ってマグロでも食べようかと思い、家族を誘い、渋滞が嫌だったので車は止めて電車で出掛けた。

道中、ふと思い立って横須賀で途中下車し、三笠公園に立ち寄った。神奈川に住んで長いものの、横須賀にはほとんど行ったことがなかった。そこに旧日本帝国海軍連合艦隊で、日清戦争時の黄海海戦や、日露戦争時の日本海海戦で活躍した当時の旗艦「三笠」が保存されているのを思い出し、ふらっと立ち寄ってみようか、という気になったからである。

京浜急行線、横須賀中央駅から歩いて15分程のところに、「三笠」を保存した小奇麗でこじんまりとした三笠公園があった。人出もそれほどではなく、入場料を払って明治の戦艦「三笠」をゆっくりと見学しながらまだそれほど遠くない日本の歴史に思いを馳せた。

東郷平八郎司令長官率いる当時の連合艦隊がロシアの無敵バルチック艦隊に圧倒的な勝利を収め、日本国の命運を救うきっかけとなった史実はあまりにも有名であるが、実際に戦艦の艦橋に立ってみると当時の緊迫感が蘇るような思いがあった。

「皇国の興廃この一戦にあり 各員一層奮励努力せよ」の号令とZ旗を掲げた「三笠」の艦橋での東郷司令長官の図は歴史の教科書等でもよく見るものだが、その当時の彼等にはまさに日本国民の誇りや武士道精神が力強く息づいていたことであろう。東郷長官が乗艦指揮する旗艦「三笠」は連合艦隊の先頭に立って敵の集中砲火を浴び、多数の戦死傷者を出しながらも、有名な奇策、敵前での急旋回によるT字戦法で劇的な完全勝利を収めた。ちなみに、後の日米開戦時の連合艦隊司令長官、山本五十六も、まだ若かりし日、乗艦していた船は違うが、この戦いで炸裂した砲弾の破片に直撃されて指を2本失う等の重傷を負っている。

後で東郷元帥のことを調べたら、彼は日本海海戦の前に、このブログの一番最初に触れた宗像大社を訪れて戦勝を祈願した、とあったので巡り合せに少し驚いたが、日本海海戦はまさに海上交通の神を祭るこの宗像の地、玄界灘沖合いで繰り広げられた戦いであったので、神のご加護もあったのであろうか。

奇しくもここ数日、在日米軍再編の問題に関する報道が続いているが、ほとんどアメリカの都合を優先した日米政府間の協議内容に関してはふがいなさを禁じえない。近代化に出遅れた極東の弱小島国に過ぎなかった当時の日本が、大国ロシアの圧力に一歩もひるむことなく、これを迎え撃ち撃破したことを思うと、その後の100年の間に、果たして日本は国家として進化したのか退化したのかわからない気持ちにすらなる。

快晴に誘われたほんの思い付きの外出であったが、思いがけず、しばしの歴史考察と感慨に耽る一日となった。

2006年5月6日土曜日

Birthday Book

新生活のスタートにあたり身の回りの整理などしていたら、いつ誰にいただいたのかは覚えていないが「Birthday Book」(同朋舎出版)という小さな本が出てきた。

自分の誕生日の日付版になっているので、誕生日プレゼントにでももらったものであろう。5分で読める程の小冊子なのだが、パラパラとめくっているうちについのめり込んでしまった。あまりにも自分のキャラクターを言い当てているからである(笑)。これって、365冊出ているのであろうか?うるう年生まれの人も入れると366冊?

誕生花、誕生石、星座占い、同じ日の生まれでどんな偉人、有名人がいるのか、どのような出来事が過去にあったか、、、などが整理されたたわいもないものなのだが、すっかり存在も忘れていた小冊子に人生を見透かされていたようで、ちょっと驚いてしまった(苦笑)。

そういえば、インドに行くと「アガスティアの葉」というのがあって、真偽の程は知らないが、自分の人生を正確に予言した古い葉(紙の代わりに使われていたらしい)があるという話が一時期流行ったが、おのれが何者で、どこから来てどこに行こうとしているのか、くらいは自分でしっかりと探し当てたいものだ。それがわからず生涯費やすのが人生の醍醐味なのかもしれないが。。。

2006年5月4日木曜日

さあ、5月だぁ

最近読んだ本の中で、以前にも触れた藤原正彦氏の「国家の品格」と梅田望夫氏の「ウェブ進化論」は秀逸であると思う。自分自身、長年の会社生活の中で、特に退社直前の数年に渡って「何かが違う、何かがおかしい、」ともやもやし続けてきたことに関して、胸のつかえが一気に降りたような気持ちにさせてくれた著作である。たまたまこれらがほぼ時を同じくして出版され、それらをシンクロさせて読むことが出来たことは個人的には幸運であったと感じる。

西欧流の競争原理や個人主義に過剰に毒され、武士道精神を失って「勝つためには手段を選ばず」的な志の低い企業行為の数々、時代感覚をなくして世の中のメガトレンドに疎く、プライドやビジョンや技術を軽視した保守的な体質、数々の実績を上げた功労者や自らリスクを取るチャレンジ魂を極端に粗末に扱い、しかもそれをなんとも思わない無神経な人々の横行、新しい企業価値を生み出すことに賭ける腹の据わった度胸と忍耐力の欠如、見苦しい嫉妬と足の引っ張り合いやモラルハザードが日常化した結果、内向きに消費される無駄なマイナスエネルギーの極大化、、、私が辞めた会社の辞める直前の状況は、まさに目を覆うばかりの惨憺たるものであったが、そういった惨状の根底に横たわる本質的な問題の数々を自分なりに整理する上で、両著には共感、賛同出来る多くの示唆がありとても役に立った。

当時の私にとって、選択肢は二つ。一つ目は、大企業としてのブランドは一流でも、肥大化して中身は三流化した会社に踏み止まって、再び一流企業として世の中にポジティブな影響を与え続ける会社としての復活に尽力する。二つ目は、見切りを付けて辞め、別の形で自分の価値観の正当性を証明する生き方をする。私は、まず一つ目の選択肢を選び、存分に闘って来たつもりだが、残念ながら、最終的には、「もう、これ以上はどうにもならない」という限界点を超えた、と判断し、二つ目の選択肢である「思い切って辞める」という行動を取った。

藤原氏は言う。「真のエリートには二つの条件があります。(中略)そうした教養を背景として、庶民とは比較にもならないような圧倒的な大局観や総合判断力を持っていること。これが第一条件です。第二条件は、「いざ」となれば国家、国民のために喜んで命を捨てる気概があることです。この真のエリートが、いま日本からいなくなってしまいました」「はっきり言えば、一万人の殺人犯がいても、先進国家は何ともない。しかし、一万人の真のエリートがいなかったら潰れます」。藤原氏の国家論は企業論にもそのまま当てはまると思う。

梅田氏は言う。「日本の大企業経営者、官僚、マスメディア幹部。いわゆるエスタブリッシュメント層の中枢に坐る、私よりも年上の人たちの大半が、組織を辞めたという個人的経験を全く持たないのである。そのことが日本の将来デザインに大きな歪みをもたらしてはいないか」、「これから日本は、大組織中心の高度成長型モデルではない新しい社会構造に変化していき、私たち一人一人は、過去とは全く違う「個と組織との関係」を模索しなければならない。そういうことを感知するセンスのいい若い人たちに、「組織を一度も辞めたことのない」エスタブリッシュメント層の言葉は、むなしく響くばかりなのではないだろうか」。

藤原氏の言に心を強くし、梅田氏の言に心を励まされて、自分にとっての新しい生き方の模索が始まっている。

2006年4月30日日曜日

ハローワーク

先週末、地元の職安、正式には公共職業安定所、所謂「ハローワーク」に行って参りました!雇用保険失業給付の申請の為です。朝一で行ったために混雑もなくあっさりと手続きを完了しました。今後、4週おきにここに通って失業認定を更新することによって、私の場合は最大330日間まったくの無職でも給付によるサポートを受けることが出来るのでありがたい制度ではありますが、長年雇用保険を納め続けてきたので、当然の権利でもありますね。それにしても、「失業」「無職」とは、潔いような、切ないような、、、ちょっと前までの会社生活での重責と激務の日々を思い起こせば、いたって平和で暢気な身分でもありますが、、、今回、私としては、本格的な活動再開まで、しばしの間は心身の休養と充電にあてたいため、この制度の恩恵にあずかることにしました。何でも社会勉強、というつもりですが、思っていたよりもそんなに暗いイメージのところではなく、職員の皆さんも親切でてきぱきしていて好感を持てました。

さて、その日は本当にいい天気で、上記の手続きを終えて外に出るととても爽やかないい気持ちだったので、気の向くままにみなとみらい方面を散策しました。ところどころ、携帯電話のカメラで写真を撮ったので並べてみます。横浜には古くて格式のある建物がまだ市中にたくさん残っています。また、最近再開発された「赤レンガ倉庫」地区からみなとみらいのインターコンチネンタルホテルあたりまでの一体は本当に気持ちのいい散策エリアだと思います。テレビドラマ化された「海猿」で有名になった「海保」の基地もあります。ベイブリッジもきれいな橋です。この5月連休には大勢の人出で賑わうことでしょう。






2006年4月28日金曜日

千代田珈琲

ブログを読んだり書いたりする時に傍らに極上の珈琲はいかがでしょう?

私の一押しは 千代田珈琲「行麿ブレンド」

店主の千代田さんとは、もう、10年以上も前に、ニューヨークに出張する飛行機の中で、たまたま隣り合わせになる、という奇遇な出会い。その頃は、千代田さんも大手企業にお勤めで、その会社の大きなプロジェクトの実行責任者であった。

その後、しばしのブランクを経て数年前に再会。既に独立して千代田珈琲を開業しておられた。以来、私に取って、千代田さんの「贅沢珈琲 行麿ブレンド」は人生のなくてはならないパートナー。千代田さんのことも人生の大切な先輩のお一人としてお慕い申し上げている。

千代田さんはとにかく頭の回転が速くてエネルギッシュ。行動力の塊のような人物だ。憂国の士でもある。「高志会」という、「志の高い人物と出会う(!!)」ことを目的としたカジュアルな勉強会も主催されていて、私も常連として参加させていただき、数々の新しい出会いに恵まれた。

「行麿ブレンド」を一度飲み始めると、もう、他の珈琲は飲めなくなる。千代田さんによると、珈琲は本来、健康飲料でもあるそうだ。豊穣な香りと味わいの中で、身も心も、芯から癒してくれる不思議な珈琲である。

2006年4月27日木曜日

役者願望

通っているジムのインストラクターで、顔見知りではあったけど挨拶程度しか言葉を交わしたことのない青年とプールサイドのジャクジでたまたま世間話になった。ジムのインストラクターはアルバイトで、本職は役者を目指してるんだとか。。。いつも爽やかで人懐っこい感じの人だけど、見えないところで目標持って頑張っているんだね。ろくな役にも恵まれずに苦労している話を聞かせてくれたけど、「一度しかない人生、頑張れよ」、って、ひどく無責任なフレーズで励ましたら、「そう、まさにそうなんですよ、頑張ります!」って、やけにうれしそうだったなぁ。何でもいいけど何か夢や目標を持って生きている人ってのは理屈抜きに気持ちがいいもんですね。。。こっちもちょっぴり元気をもらった。

2006年4月26日水曜日

白石一文さんの小説

懇意にしていただいているノンフィクションライターT氏の紹介で、新進気鋭の小説家、白石一文さんと知り合った。初めてお目に掛かってから、かれこれ2年程になるだろうか。一昨年に他界された第97回直木賞受賞の歴史小説家、白石一郎さんのご子息でもある。

まだ、お会いする前、最初に読んだのは「すぐそばの彼方」(角川書店)。それ以来、彼の大ファンとなり、世に出た作品はすべて読ませていただいた。彼の小説の根底にあるテーマは「人はなぜ生まれ生きるのか?」という問い掛け。とても重たい永遠のテーマであるにも関わらず、小説とは最高のエンターテインメントである、ということをしっかりと認識させてくれた優れた作家として惚れ込んでいる。

実質的な処女作とされている「一瞬の光」(角川書店)もデビュー作とは思えない完成度で、ひとたび読み始めたら途中でやめることが出来なかった。最近、「私という運命について」(角川書店)、そして「もしも、私があなただったら」(光文社)が新たに出版された。前者は珍しく女性が主人公の一作。運命の糸に翻弄されているように見えながらも、すべてが必然としてつながっていくさまざまな出来事や出会いと別れを軸に、次第に本来の幸せに導かれて行く女性の波乱に満ちた生き様が描かれた傑作である。その後、最新作の「もしも、私があなただったら」はまだ先日出版されたばかり。会社を辞めて故郷の博多に戻り小さなバーを開いた男を巡る話。会社を辞めたいきさつや、その後の人生に対する男の心理描写等、現在の自分の置かれた状況との対比という意味でも非常に楽しめた一冊であった。

小説家でもミュージシャンでも映画監督でも、自分が感情移入出来る作品を作ってくれる人との出会いは人生をとても豊かにしてくれる。私にとって、白石さんの小説は、前述した通り、優れたエンターテインメントであると同時に、人生の本質や不思議さに深く思いを馳せるきっかけを与え続けてくれている。

新作を読み終えてしまうのがいつも残念であり、読み終えると同時に次の作品が待ち遠しくてたまらなくなる。

2006年4月25日火曜日

辛口でごめんなさい

Web1.0から2.0への変化が誰もはっきりと意識しない間にじわじわとしかし確実に起きつつあるように、世の中の革命的な変化というものは実は派手に起きるというよりも見えないところで潜行しながら発生するものらしい。しかし、革命というものは起こす人がいるから起こるのであって、世の中のごくごく一部の限られた人達が始動し出すと、さらにまたごく一部の人達が敏感にその動きを察知して行動を起こし始め、そこに小さな連鎖が発生し始める。結果的に、革命が起きることのサインはいろいろな形で出始めるのだが、それに本当に大衆が気付き始めるのはかなり後になってから、ということなのだろう。このような遷移に関して、梅田望夫さんがやはり最近のベストセラーとなっている「ウェブ進化論」(ちくま新書)の中で、「タービュランスの発生」→「メディアアテンションのフェーズ」→「バブルの発生と崩壊」→「大規模な構築ステージ」という分類でみごとに整理している。

リーダーの資質としての「品格」ということに関して前に少し論じたが、政治家や会社の経営者などいわゆる世の中のリーダーに求められる別の資質として、「①革命を起こす資質」を持っているのがベストであろう。その次に来るのは、「②革命を察知してそれに最も早く追随出来る資質」、その次が「③革命が顕在化してから迅速にそれに追随出来る能力」と来て、最後に来るのは「④革命が起き、世の中が完全に変わったにも関わらず依然過去の成功体験にこだわり変化を拒む態度」となるだろう。

企業というものの一生もまずは①か②のレベルでの起業があり、その後の繁栄期を経て、最後は③のレベルで結局追随できないまま衰退していくか、最悪は④のレベルでの自然死か突然死、ということになるのが大抵のパターンであると思われる。一旦、繁栄期を経て図体が大きくなった企業が、再び①や②のパターンに戻って再生する、というのはほとんど奇跡に近いことのように思える。つまるところ、リーダーとしての経営トップの資質次第ではあるが、今の日本の所謂大企業にもっとも求められるのは年齢を問わずそのような奇跡を演出できるレベルの非凡な人材であると思われるのに、失礼ながら、依然として登場感や存在感の希薄な年配の顔ぶれが多いように感じられるのは日本ながらの年功序列の名残のせいなのであろうか?

2006年4月24日月曜日

サラリーマンという生き方

サラリーマンという生き方をちょうど22年間続けた。週休2日だったので実働週5日で単純計算すると年間260日、そのうち祝日や休暇を合わせて14日とすると、246日だから22年間で5412日になる。一日8時間労働として、43296時間。途方もない時間だ。しかしながら、この時間のどれだけを本当に創造的、生産的なことに使ってきたのだろうか?社内調整や冗長な会議等で無駄に消費された時間を感覚的だが全体の3割とすると、前向きなことに使った時間が30307時間程という計算となる。会社を辞めてフリーとなった今は持ち時間すべてを自分の思うようにデザイン出来るので、一日12時間を生産的なことに使うとすると、その30307時間は2526日分、平日と土日の区別はないので、この日数はおよそ7年分にあたる。実際には残業や土日の在宅勤務もあるので正確ではないにしても、ひとつの目安として、今後7年あれば、時間的には会社にいた時に成し遂げたことと同等レベルのことはやれる、ということである。

新しいことを始める時に人は必ず年齢のことを気にするし、逆に年齢を気にして行動を起こせない人も多いようだが、これはある意味言い訳あるいは錯覚に過ぎないのではないだろうか?実際のサラリーマン生活というものは上記以上に自分の持ち時間を犠牲にした生活を強いられるものだ。理不尽なストレスも多い。大切なことは年齢よりも、自分の持ち時間をどう上手に使うかということに尽きるであろう。

時間で拘束されない生活を手に入れてまず思うのはそんなことである。。。

2006年4月23日日曜日

「品格」ということについて

藤原正彦氏の「国家の品格」(新潮社)が引き続きベストセラーとなっている。独特の毒舌、極論とも思える主張の中には共感出来る事が多い。藤原氏が若かりしころに著した「若き数学者のアメリカ」をやはり自分も若かった頃に読んだ。こちらも自分の留学体験とも重ね合わせて大いに共感できる内容であったと記憶している。藤原氏のことは、実はそれ以来、すっかり忘れていたのだが、最近、この「国家の品格」を拝読して、持ち前の正義感や反骨精神が氏の内面において継続して進化し、日本人に大きな影響力を与えるに至っていることを非常に心強くまた嬉しく思っている。

今や「品格」という言葉は死語に近いほど、国家も、企業も、そして個人も、「品格」というものに頓着しない世の中になっていると感じることは実際に多い。藤原さんの本が売れるのは、そういうことを気にしている日本人が決して少なくはない、ということなのであろう。

結局、行き着くところはこのブログのテーマでもある「人はなぜ生まれ生きるのか?」ということであり、我々一人一人の生き様の問題である。品のない人の多い企業は品のない企業になるし、品のない人の多い国家は品のない国家となる。個人の品格を決める要素には、①持って生まれたもの ②家庭教育・躾 ③学校教育 ④友人関係 等々、さまざまな要素があると思うが、この際、自分にはどの程度の品格が備わっているのか?品格に長けた部分と欠ける部分があるとすればそれらがどういうところで、何に根ざしているのか?ということをいろいろと棚卸してみるのも良さそうだと考えている。

リーダーを目指す人間は品格においても秀でていなければならない、ということはまさに理屈ではない。品格のない人がトップになった組織は悲惨である。。。

    

2006年4月22日土曜日

新しいスタート

20年以上勤めた会社を3月で辞めた。人生の新しい章に進む為だ。初心に戻りたくて生まれ故郷の福岡を数年ぶりに訪れた。先祖から縁(えにし)の深い宗像大社を訪ねておみくじを引いたら、「古きを捨てて新しきにつくがよい あまり一つの物にとらわれて役にも立たぬことを思ってはだめです 元気を出して捨てるべきは捨て進む所へ進め」とあった。まさに今の自分の決意にぴったりで、励まされる思いがした。

いまだ自然に恵まれた故郷の原風景の中に、しばし身をおいて新鮮な空気を吸ううちに、しだいに心の中が浄化されて行く思いがした。人の魂というものは、俗世間に長年さらされているうちに、持って生まれた時の清らかな状態をどんどん失っていくものなのであろうか。。。「デトックス」が流行っているが、心も体も定期的に毒出しや浄化をすることによって本来の感性や生命力を蘇らせることができるのだとあらためて感じた。

これからしばらくの間、会社生活における長年の激務とストレスで疲弊した心身を回復させて完全な健康体を取り戻すプログラムを実行しながら、このブログを通じて「生きることの本質的な意味」について考えて行きたいと思う。